WorkFlowyのメモを見ていたら,こんなのが埋もれていた。
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#2016-07-31 10:23 せっかく知的生活に関するブロックを書いているのだから、一つ一つのカテゴリの中身について深く掘り下げて知見をしっかりと作りたい
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うーん。
確かに僕はこのブログではそんな書き方をしていなかった。
学ぶ過程は,プログラミング学習を一時やっていたくらいで,何かについて学んでいくことを記録したことはなかった気がする。
今後は,そんな書き方もいいなと思う。
あと9日でこのブログは当初目指した1年間毎日更新を達成する。
その後の書き方は,
- 他に暖簾分けした,特化ブログをオーソリティ化するための下支えになること
- フロー記事中心で,エネルギーを使わず,気楽に書いていくこと。
そういう進め方を考えていた。
しかし,今回のメモを見て学ぶということに焦点をあててみようと思った。
僕が,教育に関する勉強以外で,人生を通しての勉強と考えている分野がいくつかある。
2011年には次のような記事を書いている
こちらには,
退職してからもつづけていきたい学びのテーマとして,以下のリストが上げてある。
・児童画と発達心理学、美術教育論
・図書館、読み聞かせ、絵本
・昔話、民話、民俗学
・脳のはたらきについて
・特別支援教育 特に大人の発達障害について
その後,4年経った2015年の3月頃,こんな記事を書いていた。
4年間で結構変わっている。
そこでは,自分がこれから勉強していきたいテーマをあげていた。
発達心理
脳について
教育史
教育原理
近代美術史
江戸の民衆史
児童の表現について
確かに,学びのテーマを挙げておき,それを時間をつくって学び続けるということは現職中にやるべきことだ。
現職中にどれだけ学んでいたかが,リタイヤ後の生活を大きく左右する。
定年退職まで後1年となった今,それらのテーマを掘り下げてきたかというと,とても心もとない。
もっと勉強しておきたかったという気がする。
このブログを、今後学びのプラットフォームとするのも悪くないなと思った。
一度は志した、1テーマ30冊読書をまた始めようか。
そして、その学びをここにまとめて行こうか。
そんなことを考えた。
2020年のわたしは,何を学び続けていきたいのだろうか
脳のはたらきについて
第1に上げるのは,上のどちらにも出ている。脳のはたらきについての学び。
これは日進月歩の研究が進んでおり,話題の本が出るたびに買い求めて読んできた。
今後も学び続けていくだろう。
書棚にコーナーを設けている。
科学史 数学史
これはどちらにも出てこなかった。
しかし,今の私の買う本に,この分野は多い。
本屋に行くと,必ずこの手の本を買っているなと思う。
先日は,これを買ってきて読んでいるところ。
これは,時間は存在しないということを提唱しているカルロ・ロヴェッリの本。
科学史の分野の本だ。
数学史については,フェルマーの定理を何度も読み返すなど,大変興味がある。数学自体は全くわからないが,数学に関わる人の伝記として読むとたまらなくおもしろいのだ。
おそらく長く学び続けることになる。
書棚にもコーナーがある。
美術史
美術は人間の営みそのものだ。
数年前,ラスコー展に行った時,美術品のように展示されているものは,全て彼らの生活の必要性から生み出されたものだ。
それが生活に役立たないものであっても。
人の営みそのものに興味がある僕にとっては,クリエイターとしてではなく,人間史として美術史を学んでいくことになりそうだ。
人類史 歴史
歴史一般に関しては,子供の頃からの一本の興味の軸がある。
ぼくたちはどこからきてどこにいくのか,という問いだ。
私だけではなく,だれにでもある問いなのだろう。
この問いの答えは刻々と変わっている。
だから,学び続けることになる。
書棚にコーナーが設けられている。
民俗学 民衆史
小学校高学年から興味を持ち始めた分野だ。
名もない人々が,何を考え,何をなしてきたのか。
大学時代には,西洋中世におけるフランスの農民史を学んだ。
阿部謹也史の「ハメルンの笛吹」は,ドイツの中世民衆史が学べる本で,私にとっては過去何度も読み返してきた
日本の民俗学についても長年読書のテーマの一つになっている。
書棚には,そのためのコーナーが設けられている。
長く学び続けるテーマとなるだろう。
日記に関すること 日記そのもの
日記というものを人の営みのリアルな記録として読む。
文字が生まれてからこちらの,人類の思想史,文化史など,さまざまな視座からの学びがある。
日記文学には,生きた人間の当時の文化の中での考え方が散りばめられている。
それは,私の人間の幅を広げてくれた。
これを学びとして続けていくだろう。
書棚にコーナーがある。
古典
古典というものは曖昧な表現だが,本来は楽しみとして読むものだろうと思う。
学びとしてあげたのは,これが私の読書の土台となってほしいからだ。
数年前,メルマガで毎週書評を書いていた時,いくつかの本についてはお手上げになったことがあった。
文中にでてきた,当時の人間からすれば当然の教養,素養がまったく自分になかったため,書いてあることの意味合いがわからなかったのだ。
それらを楽しむためには,2000年前からの古典を読んでおく必要があると思った。
これは,リベラルアーツに類するものであり,今後の生活の土台として学ぶ必要がある。
いまのところ,以上が2020年版の学びの地図となる。
これを書いていて気づいたが,すでに私のライブラリーにコーナーを設けているものがほとんどだということだ。
すでに学びは始めていた。
私の知のライブラリーを今後も充実させていきたい。
学びの方法
学びであるから,時間を決めて,座して行わねばならない。
バスや風呂の中での読書とは性質が異なる。
毎日の生活の中に,「大きな石」として放り込んでおかねばならない。
仕事が忙しかろうがなんだろうが,日々確実に遂行していく
それが学びだ。
そういう時間を,残りの1年できちんと入れていかないと行けない。
その時間をどのようにとるのか。
クリエイターとして生産型人生をおくるには,その土台となる学びは必須だ。
そのためには,何かを削る必要がある。
検討課題だ。
(でも,マイクラは削らない。知的生活そのもののマイクラは削ることはできない。)
教育に関する内容は学びになるか
教育に関する学びは、どうだろうか。
上の二つの記事を書いた頃は、退職してからも教育に関する仕事に携わろうと思っていたようだ。
どちらにも教育に関する内容があがっている。
しかし、今では私の状況は変わった。
定年退職後は別の人生を歩みたいという気持ちを持っている。
そんな状況でも、教育に関する学びを続けたいだろうか。
生涯のテーマにしたいだろうか。
発達心理,児童画,美術教育史,ユニバーサルデザインについては,今後の自分の選ぶ仕事とは関係なく,学び続けるつもりだ。
それ以外については生涯にわたって学び続けたいかと問われると,それはない。
仕事としての学びを残り1年精進していくが,もしかしたら,この1年で生涯にわたって学び続けたいことが生まれるかもしれない。
それはそれで楽しみだ。
かつて教育者だった者らしい学びとなるだろう。
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