基本的に、一と一緒に行動するのがいやだ。
一人でいることを欲する人間だ。
どこかで研究大会がある、というようなとき、知り合いと何人かで連れ立って行く事を好む人がいる中で、私などは、せっかく遠いところに出向くことでいろんなことを考えたり発想したり経験したりするチャンスなのに、人と一緒ではそれが妨げられるので連れ立って行くのはまっぴらごめんという気持ちになる。
電車など、ひとりで乗って景色を見ている方がいい。行った先で食事をするのも一人がいい。
基本的にはそんな人間。
何かにつけて感じ入り、メモを取り、写真を取り、何かを考える。そんな内省的な人間であります。
今は、行きつけの喫茶店でコーヒーを飲みながらこれを書いているが、実に素敵な気分だ。
だから、明日は会議だとかなにかで数人で行動しなければならないなどという時は前の日から悶々としている。その間、内省的になれないからだ。
これがまた自分勝手なことに、自分が率先して企画した飲み会であってもそうなのだ。
今晩、その飲み会があるのだが、「あ〜夜は飲み会だ。あ〜やだやだ」と思ってしまうのである。へんな話だ。
ところが、である。
人と一緒に行動する前はあれほどもんもんと悩み苦しんでいるのに、いざ人と行動し始めると楽しくてたまらない。
例えば、飲み会前は、やだやだ、今晩は本を読めない、字をかけない、絵をかけない、あ〜やだやだ、と思っているのに、飲み会の席では話をしたり聞いたりするのが楽しくて、「あ〜いつまでも終わらなければいいのに。2次会カラオケ?行く行く!」となることが多いのである。
「もうたまらん、早く帰りたい!」と思うことなど、実はあまりない。
これはいったいなんだろうか。
昔からそうなのだ。
さすがにこの歳になると、人と会うことに悶々とし続けることはなくなった。
「今はいやだな〜と思ってるけど、行ったらすぐに楽しくなるのさ」ということが経験でわかっているから。
そんな自分にときどきとまどってしまう。
いったいどっちが本当の自分なのだろうか。
最初から悶々と悩むこと自体がなくなったらいいのに、と思う。
今晩は飲み会だ。悶々として最悪な気持ちである。
しかも、それは私が声を上げて旧友を集め企画した飲み会なのだ。
しかし、きっと楽しくてたまらないだろう。
更新履歴
2016-8-16 公開
2020-12-15 再公開
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