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パウサニアスの『ギリシア案内記』 2000年前に書かれた遺跡ガイド

読書部

目次

パウサニアスって誰?

2世紀、ローマ帝国が最も安定した時期とされる時代がありました。
「パックス・ロマーナ」と言われます。

この平和な時代に、ギリシア出身の旅行家パウサニアスはギリシアを案内する本を書く旅に出ました。

彼が著した『ギリシア案内記(Periegesis Hellados)』は、全10巻に及ぶ壮大な紀行文学となりましたが、同時に私達にとっての生きた歴史資料となりました。

ギリシア各地の都市、神殿、劇場、祭礼、伝承をパウサニアスが自らの足で訪ね、見聞きしたことを克明に記した本です。

単なる旅行記ではなく、当時の地理・歴史・宗教・文化を立体的に描いた百科全書のような存在です。

今も現存する遺跡の多くが、当時どの神に捧げられ、どのような儀式が行われていたかを知る手がかりになっています。

 

綿密なルート設定と驚異的な記録精度

パウサニアスは、行き当たりばったりではなく、綿密なルートを設定して、その通りに丁寧に紹介してくれています。
地理的にも歴史的にも筋道を立て、効率よく、かつ体系的に巡るルートを事前に設計していたと考えられています。
そのため『ギリシア案内記』は、読むとまるで頭の中に地図が描かれるように構成されています。

このおかげで、現代の考古学者や歴史地理学者は、彼の記述をもとに実際に同じルートを歩き、その精度を確かめています。

すると、多くの地点で遺跡の位置や距離感が驚くほど正確であることが判明しました。

中には一が判明しなかった遺構の位置を、彼の文章から推定して発掘に成功した例もあるそうです。
また、この遺跡が何の遺跡で、どの神に捧げられたのかということも、彼の案内記から判明しています。

建物や彫刻の外観だけでなく、そこに込められた意味や背景となる神話、伝承までも書き残しています。
こうした情報は、単に遺構を見ただけでは知り得ないものであり、考古学的解釈の幅を大きく広げました。

つまり、極めて信頼性の高い一次資料である彼の記録は、2000年後の私達に、本来なら失われてしまっているはずの口伝の内容を、失われずに伝えてくれているものなのです。

 

「まさか同時代向けに書いた本が未来の人に活用されるとは」

パウサニアスがこの本を書いた当時、もちろん2000年後の人類の役に立てるつもりはなかったでしょう。
彼は同時代の読者に、ギリシア世界の豊かさや誇りを伝えることを目的としていたのです。

しかし、その丁寧な観察と詳細な記録は、長い年月を経て写本として残り、やがて印刷・翻訳され、現代の学術研究において不可欠な資料となりました。

これは、未来を意識していなかった記録が、結果として未来の誰かを助けるという、歴史上まれな例でもあります。

このエピソードは、私たちが日々行う記録にも通じます。

写真、日記、旅行記、ブログ――いずれも今は自己満足かもしれません。
しかし、それらが未来にとって貴重な「当時の証言」になる可能性はゼロではありません。
パウサニアスの足跡は、「今を丁寧に残すこと」がいかに大きな価値を持つかを静かに語りかけてきます。

2000年後に届くかどうかは誰にも分かりませんが、今日私が書くこの一文が、遠い未来で誰かの景色を鮮やかに描き出すかもしれない。

 

「邪馬台国案内記」があったら・・・・

ギリシヤ案内記が書かれたのは、2世紀。日本では弥生時代にあたります。

ちょうど邪馬台国の時代にあたるわけです。

魏志倭人伝には、ギリシア案内記と同様、当時の邪馬台国の位置や政治、社会、文化が詳細に描かれています。

ギリシア案内記と同様、2000年後の私達に当時の状況を伝えてくれています。

 

しかし、目的が異なりました。
魏志倭人伝は、旅行者のために書かれたものではなかったのです。
また、執筆者本人が実際に踏査した上で書いたものでもありません。

だから、本当にそうなのか?といった疑問が頭の中にあり続けます。
さらに、方角や距離がうまく後世に伝わらず、その位置すらわかりません。
一流の学者たちが数百年にわたって論争しても、その場所は決着しないのです。

こう考えると、個人で旅をし、自分の言葉で書き残すことができた当時のローマの平和時代のギリシャの文化の高さを思い知らされます。

 

私の著書

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