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「大常識」百田尚樹〜あんたら,正気か?

読書部

2023年11月24日、百田尚樹氏の新刊「大常識」を買ってきた。

近頃,世の中であまりにもこれまでの常識とかけ離れたことが起こり続けていることに不安を抱いていた。

同じく、日本の政治の非常識的な流れに不満を持ち警鐘を鳴らしつづ寝てきた百田氏が世の常識に関する本を出したということで、早速買ってきた。

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購入の動機

百田氏の動画をよく見ていて,氏の感じる常識と私の感じる常識とがほぼ一致していると感じることが多いことが土台にある。

民主主義の体現者のはずの自民党が,6月にあまりにも非常識な方法でLGBT理解増進法を通過させた。

もとより,LGBT理解の増進は大切なことで、それに反対を覚えるものではない。
しかし、世界にこのような法律を作ったG7の国はない。
それは以前からLGBTに関する理解の増進を進めた余りの様々な問題が浮き彫りになっており,法律家が危惧されていたからだ。
したがって,この法律を通すには、十分な論議が必要なはずだ。

世界の情報もしっかり集める必要があった。

しかし,日本の民主主義政党のリーダーである自民党は、およそ民主主機とはかけ離れたやり方でこれを通過させた。
会議に出すための委員会を何度開いても反対が多いため,賛成しそうな議員を集めての会議まで行った。ところがそこまでしても反対のほうが多かったのだ。

常識で考えるなら,この法律は審議の場に出すことはできない。

ところがリーダーたちは,この件、自分たちに預けろと言ってこれを無理やり会議に挙げ,党議拘束までかけて賛成票を投ずることを自民党議員たちに強いた。

そして、世界で初めてのLGBT理解増進法が通ってしまったのだ。

法律の是非については今後歴史があきらかにするだろう。
ここではそれを問わない。

しかし、その決め方があまりに非常識だった。
このことについて同じ理由で怒っていた百田尚樹氏にシンパシーを感じた。

彼の書く「常識」を読んでみたい。私とどこが同じでどこが異なるのかを,知りたい。
そして、彼と常識の捉え方が一致するようなら,私は彼を支援したい。

それが購入の動機だった。

 

目次

  1. 政治屋たちの醜態
  2. 横暴な「リベラル」
  3. 罪を憎んで犯罪者も憎む
  4. 平和ボケは不治の病
  5. コロナワクチンへの異常な愛情
  6. 道徳崩壊

政治屋たちの醜態

政治屋という言葉について、僕は百田さんがよく言われている「政治を家業化させてはならない」ということに繋がる言葉かなと思っていたがそういうわけでもなかった。

民のことを一番に考えて行う政(まつりごと)としての政治ではなく、政治で稼ぐ人たちというような意味だ。

 

「反対派は国葬を強行するのは民主主義に反すると言いますが、賛成派が「半旗を掲げるのも、弔意を示すのも自由」としているのに対し、反対派は「半旗を揚げるな、弔意を示すのはまかりならん」ですから、どちらが民主的なのかは一目瞭然です。

これはとてもよくわかります。僕もよく「申し入れ」されました。申し入れてくるのは左翼活動家だけでした。

私が決めることなのに、なんで申し入れされないといけないんだろうかと思っていたので、この一文にはとてもシンパシーを感じました。

そのとおりだと思います。

 

「子供を作らない理由に金銭を挙げるカップルは将来的な教育費を心配しているのです。それを3歳になるまでしか使えない、それもたった10万で払拭できると考える、なんと愚かなことか。18歳までの毎年誕生日に100万円のお祝い金支給くらい言えないものでしょうか。」

これもとてもよくわかる。なんで一時的な補助金のようなものでなんとかなると思うのかということですね。

安心感は「子供を海育てられる!」ということであって、「一時的に10万もらった!」ということからは生まれないですからね。

選挙、人気めあてのお金のバラマキと思われてもしかたがないということで「政治屋」と言われてもいしかたないでしょう。

共感しました。

 

横暴な「リベラル」

動物のためとヴィーガンになったものの、それで健康を害したのでは「人間」という名の動物を虐待しているのと同じです。

先日、ビーガンの方が栄養失調で亡くなったというニュースがでていました。人間は生き物の命を頂いて生きていられるのですから、それを食べないでは生きていられないですね。

しかし、それはあくまでも自分の話。ベジタリアンでもビーガンでもいいんですが、人にその心情をおしつけてはならないですね。

欧米の環境活動家が絵画にスープをなげつけたりなどの過激な行動をしていることを思い出しました。

それらの行動は、崇高な理念のもとに行われる諸活動を台無しにしてしまいます。

  

今回は、チャンネル登録者数100万人を超える「料理系」YouTuberの男性料理研究家が2023年2月、謝罪に追い込まれたという話題です。彼がいったい何を謝らなければならないようなことをしたのかというと、ツイッターでカレーのレシピを紹介した際に、その分量を「男性なら1人前、女性なら2人前分あります」と記したからと聞いて呆れてしまいました。批判者は「女性が少食とばかり思うな」「男女で飯の量勝手に決めないでくれ」と憤っているようですが、相手が料理研究家だからといってなんでも「食いついて」いいわけではありま

「少数の大声」により、発信者が萎縮してしまったり、活動言動を控えてしまったりすることはなんとしてでも避けたいところです。

なにか事業を行う際に、少数者が大声で避難してくることがないように先に忖度して不満が出ない形に無難なものをおこなってしまうというようなことが増えてきたように思います。

だから、こういう事例で謝らないようにしないと行けないと思うのですが、当事者になってみないとわからないことでもありますよね。

 

「少数意見の尊重」「弱者の救済」とは異論をはさみにくい耳触りの良い言葉ですが、少数派のために大多数が我慢、いや被害を強いられる社会を「差別のない社会」とはいいません。

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6月頃、埼玉県で少数の議員さんが役所を訪れてある催し物がけしからんと申し入れてそれが急遽中止になり、大騒ぎになったことがありました。

その議員さんたちは逃げてしまっていっさい表に顔を出さないようになったのですが、確実にその影響は残りました。

役所の役人は、申し入れてきた人がたった3人くらいだったとしてもその背後にK産党がいるというだけでビビる気持ちになるのもわかります。

しかし、たった3人の大声を聞いて、1000人以上の関係者を困らせてしまいました。

そして、その声の主の3人はどこかに逃亡です。

このようなことで中止にされた催し物は、差別のない社会を産んだと言えるのかどうか大いに疑問でした。

 

組織としての朝日新聞が「テロに・・・・・・」と言うのにはいささかの違和感があります。なぜなら朝日新聞は2022年7月、選挙活動中にテロによる銃弾に倒れた安倍元総理を貶める記事を連日掲載し、多くの読者に誤った情報を流し続けていたからです。

記事はテロそのものを責めるよりも兆人の過去に焦点を当て、その行動も安倍さんに責任があるから”仕方がない”という論調でした。

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確かにあのときには「テロは断じてだめだ!」という論調ではなく、犯人の被告(テロを起こした者に名前を与えないために名前を呼びません)がその凶行を起こした理由ばかりに焦点をあて、しまいには「しかたないよね」という方に持っていこうとするようすがよく見られました。

そして、いつのまにか旧統一教会憎しにもっていかれ、最終的にはテロリストが望んだ通りの結果(解散命)が出る方にすすめてしまいました。

あのテロリストに「やってよかった」と思わせる形を作ってしまいました。これはマスコミのせいだと思っています。

真実を淡々と語るだけでいいのに、いらない「自分たちの思い込み、お気持ち」の付加価値をくっつけて平気で報道してしまうメディアに、公の報道を行う資格はないと思います。

 

「施設側は、設置の理由を「国連の持続可能な開発目標(SDGS)の理念でもある『誰一人取り残さない』ことに配慮した」と言っていますが、そもそもSDGSの目的は人類がこれから先も『幸せに暮らしていく』ために定めた目標だったはずです。それを1%未満の人たちのために50%を占める人たちの安全を脅かそうとするのですから困ったものです。ただSDGsという言葉に酔っているだけで本質を完全に見失っています。」

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これは、2023年4月にオープンした東京都新宿区「東京歌舞伎町タワー」の話です。

超高層複合施設ということで話題になるかと思ったら、なんとトイレで話題になった施設です。
2回部分のトイレには、男性トイレと「ジェンダーレストイレ」しかなかったのです。

「女性が安心できるスペースが奪われる」という言葉が急に僕の耳に入るようになったきっかけ担ったように思います。

ごく少数の人々を理解し、安心してもらえるような施設や制度などを工夫することは大事なこと。しかし、それをもとに、多くの人の幸せを奪ったり安心を奪ったりすることは非常識だと僕は思います。

SDGsは大切な理念ですが、「SDGs」といえば何でも許される、「SDGs」と叫んでいる人には何も言えないという風潮が常識になってはいけないと思います。

                     

すべての子供たちが等しく教育を受けることにこだわるあまり、一方で目の前にあるプールに入る子供の権利を奪っていることにどうして気が付かないのでしょう。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         

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これは、北海道函館市内の全市立小学校のプール学習が中止になったというニュースについての言葉です。

函館市では、すべての小学校にプールがあるわけではないので、これまでバスをだしていたそうです。ところがコロナ禍でプール学習が一斉に中止となった期間、仕事がなくなった運転手がやめてしまいました。

2023年になって旅行需要が増加したことで運転手不足となり、プール学習を再開できない学校ができたわけですね。
そこで市教委の出した結論が「プールがある学校も含めて市内の全小学校でプール学習をしない」ということだったわけです。

このことが、プールがある学校の子供の教育の機会を奪ってしまいました。

 

このようなことを、行政はよくやります。ここでおこなわれたのは、「教育」ではなく「教育行政」でした。行政は多くのものに忖度します。きっと「プールに入れない子供たちがいるのになんでプール学習を再開したんだ!」という意見がでることを恐れたのでしょう。

その結果、一般には非常識と思われることをしてしまいました。

でも、行政にとってはこれは常識なんですよね。

現場の校長会などと協議をすればいいのですが、おそらく校長を集めての通達ですませたのだと思います。(ちがっていたらすみません。)

 

罪を憎んで犯罪者も憎む

死刑が廃止された欧米の国は死刑制度のある日本を「野蛮だ」と非難しますが、そんな国は犯罪現場で勝手に死刑を執行しているのです。それに比べて犯罪者の言い分も十分に聞いた上で、裁判を経て執行する我が国のなんと人間的なことか。

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日本の刑事裁判の有罪率は99・9%です。すなわち起訴すればほぼすべてが有罪となるのです。それだけしっかりと調査し、確証をもって起訴している一方、勝てるものし起訴していない可能性もあります。今回「”過失運転”なら100%有罪を取れるけど、危険運転”だと確率が90%になるから下げとこう」だったとしたら自己の保身のために正義を放棄したことになります。

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読後感

これは、メルマガに連載されたものを集めて収録したもので、過去1年間ほどのさまざまな出来事を「常識」というフィルターから集めた本。

同じ視点からこれまでの世の中のできごとを俯瞰してみることができました。

基本的に、百田氏がおかしいともうことは僕も同じ考えであることが多かったなと思いました。

だからいいとか悪いとかではないですが、日本を代表する小説家で、100万部突破の本を何冊も出している人の感じる常識とさほど変わらなかったというのは、それなりに自分の助けにはなったと思います。

それ以上に、僕が関心を持ったのは、このようなアウトプットのあり方。

世の中の出来事を「常識』というフィルタを通すとどのように見えるのかということを考え、それを著すということで、これだけの生産ができるということへの関心です。

さらにそこには、メルマガという媒体もあります。

こういうものが合わさって一つの本になったということへの関心ですね。

僕にも発信のためのさまざまな媒体がありますので、それを活かしながらよいアウトプットをしていきたいと思いました。

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