忙しかろうが何だろうが読書は続けなければならない。
どんなに忙しくてもどこ吹く風で、悠々と読書をするところが知的生活の妙である。
などとどこかの賢人のようなことを言っていますが、なかなかそういうわけにはいきません。
忙しいと、アップアップして、なかなか読書をしようというような精神状態になりません。
そして、このことに忙しさと知的生活ということの間に横たわる問題があります。
それは忙しいということと、本を読む時間がないということとは別問題だということです。
忙しいけど本を読む時間は作り出せます。私が行っているチリツモ読書はそのための方法です。
では忙しさのあまり読書ができないのはなぜでしょうか。
目次
忙しさのあまり読書ができないのは、時間の問題ではない
忙しいから読書ができないのではなく、「多忙感からくる焦り」があるから読書どころではないのだ、と私は考えます。
忙しいということと多忙感とはまた、違います。
忙しくて時間がないということは客観的に計測できます。
しかし多忙感は主観的なものであって、同じ仕事量でもこの人には経験があるなどの理由で時間をうまくやりくりしてすいすいやってくことができますが、この人は経験がないからか、どれだけのことをしなくてはならないのか見通しが持てずに不安になり、とんでもないことを背負いこんでしまったかのような気持ちになります。明日までにこれをしなくちゃならない、できるかどうかわからない、でもしなくちゃならない、どうしたらいい、あれもしなくちゃこれもしなくちゃ、と不安に駆られてあたふたしてしまいます。その結果、仕事の量ではなく、不安や焦燥感に押しつぶされて他のことが目に入らなくなります。
実際には、落ち着いてやるべきことのタスクを分解してみるとさほどの仕事量ではないことがわかり、落ち着きを取り戻せるのですが、そのような心得がないとなかなかこの精神状態から抜けられず、アップアップが続いてしまいます。そして疲弊します。
こうなったら読書どころではありません。
これは時間の問題ではなく、心の問題です。
単に忙しいといことと、そのために読書をする時間もないということとは別問題だといったのはそういうわけです。
時間の問題ではなく、心の問題。
忙しい中でも悠々と知的生活をするということは、この多忙感による疲弊をどのように駆逐して落ち着きを取り戻すのか、ということにかかっています。
では、どうするのか。
多忙感にさいなまれて潰れそうになったら
もうひとりの自分に「まあ、待て」と言わせる。
あたふたし始めたら、「まあ、待て」と思いましょう。
これがスタートになります。
深呼吸をする
次に深呼吸をします。
吸うよりも吐く方を意識して、お腹から全部空気を押し出し、ゆっくり時間をかけて息を吸い込みます。
これで、アップアップ、はあはあはほぼ消えます。
すると、なにをしなくてはならないのかを書き出せるくらいにまで落ち着いてきます。
せねばならないことをリストに書き出す。
これができるならほぼOK。
書き出していると自然にタスク分解ができ、時間の見積もりが出せるようになっています。
こうして、かかるであろう時間を見積もってみると、意外なことにそれほどの時間はかからないことに気づくものです。
気が遠くなるほどのたくさんのことをせねばならないと思って疲弊していたのに、それぞれにかかる時間は5分とか10分で終わるものもありますし、1分しかかからないものもあることに気づきます。
全部出してみると、多めに見積もっても夜中の一時には終わることがわかってホッとした、とにかく終わりの時間がわかってよかった、そう思えたとき、私たちはようやく多忙感による疲弊から抜け出せます。
さすがに午前1時までかかるならばこれは物理的に忙しくて時間がないと言えますので、読書をする時間もありませんと胸を張っていってもいいと思います。
しかし、たいていの場合翌日に割り振っても良かったり、多いと思っていた仕事量が案外少なかったりということがあるものです。
そうして多忙感を征服すると、後はタイムマネジメントの問題ですから、読書の時間など作り出すのは難しいことではありません。
疲弊から抜け出すためにTaskchuteを使う
私はこの多忙感による疲弊から抜け出すのにタスクシュートを使います。
深呼吸をした後、不安なことを解消するためにしなければならないことをどんどん書き出します。そうして一つ一つに見積もり時間を入れていくのです。それも少し余裕をもって。
必要だと思われるタスクに見積もりをいれてから何時に終わるか確認します。右上に、私が何時に寝られるのかが表示されます。
これを見ることで、「なんだ、今日中に終えることができる仕事だったんだ」と安心したり、「これは無理。いくつかのことを明日に回そう」と冷静に先送りできたりします。できなかったから送るのではなく、あくまで計画の時に先に送っておくのですから「できなかった〜。あしたやるか」と思わないですみます。
この見積もりによって実際にできる場所にタスクを移動させたり、見積もり時間に余裕をもたせたりといったことが、簡単にできるとともに、終わり時間を即座に反映して見せてくれる。できるのかできないのかを冷静に見せてくれる。それがTaskchuteです。
だからこそ、タスクとタスクの間に10分間のストレッチをはさんだり、瞑想を入れたり、知的鍛錬として難しい本を10分ほど読んだりといったことが自身を持って事前に予約しておくことができ、そのけっか一歩一歩前に進んでいくことができるのです。
ある週末、かなり大きな仕事をしました。見積もってみると10時間はゆうにかかりました。でもその長丁場の仕事の合間に、読書はもちろん、ストレッチ、ラクガキ、瞑想、勉強などを挟むことができています。これらのことをやっても、今日中に終わることがわかっているので悠々とラクガキをしてリラックスすることができるのです。
多忙感で疲弊していたら、とてもこういったことはできないことです。
逆に言えばどんなに忙しくてもこのようなことを悠々とできているかどうか、ということが、私が仕事量の多さにまけて多忙感に押しつぶされていないかどうかのバロメーターであると言えるでしょう。
忙しい中でも悠々と知的生活。
これは単にタイムマネジメントの問題だけではありません。
仕事の時間を見積もって、落ち着きを取り戻しましょう。
まとめ
もうひとりの自分に「まあ、待て」といわせることでかなり救われます。
多忙感による疲弊をTaskchuteによって事前に避け、タイムマネジメントできる状況を創りだして、読書をする時間を作り出しましょう。
この記事は、Memoflowyを使って一気に書きました。
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