以下の記事は,昨年12月に書いたものです。下書きのままだったので,手を入れて公開します。
読書といっても、その内容や形態はあまりに千差万別。目的も方法も異なる。
学ぶためであるか、情報の取得のためであるか、知的好奇心を満たすためであるか、知的能力の鍛錬なのか、単なる暇つぶしか,という目的で違いがある。
また、書斎で書見台などを前に居住まいを正して読むのか、ポールペン片手に線を引いたりノートをとったりしながら読むのか、寝転んで読むのか、ソファに深々と腰掛けて読むのかという本に対する構え・姿勢。、
紙の本で読むのか、Kindleなどの書籍ビューワーで読むのかという方法。
速読か、遅読かといったくくりもあるし、一人で読むのか、読書会で人と一緒に読むのか,
家で読むのか図書館で読むのか電車で読むのかなど、さまざまなくくりがある。
だから、「読書たるもの」とひとくくりで述べることはできないし、そのための方法も述べられない。
述べるときには、上にあげたようなさまざまなくくりの中から、この場合には、という述べ方が必要だ。
遅読と速読というくくりで言えば,月に100冊などという読み方をしている人を、月にやっと一冊という読み方をしている人が「すごいなあ、自分は遅いなあ」と思う必要もないし、その逆に「もっと読めるための環境づくりをせよ」などと人さまから言われなければならない理由もない。
目的も方法も違うのだから。
例えば、私は専門の美術教育のための読書において、実践記録などは30分もあれば一読できるしそのような読み方をするが、逆に古典ともいえる昔の実践家の論考集などは、少しずつ少しずつ上下巻合わせて2年くらいかけなければならなかったことがある。後者の場合は速読ではいけないのであって、むしろ遅読が必要だ。
そんな様々な目的,姿勢,方法で行っている読書を,ここで一度、見直してみることにした。
味わい読書
文章や内容を味わいながら読む
楽しい時間
遅読に徹する。速読はもったいない。
知的な喜びをもって読んでいる時間を至福のときと感じなから読む。味わい読書。
そういえば「吾輩は猫である」はこれまで3度読んだ。1度目は,後に述べる「知的鍛錬読書」だった。中学の頃。2度目は30歳のころ。「味わい読書」に片足つっこんだ。3度目は50歳のころ。漱石がこれを書いた歳よりもはるかに過ぎてようやく味わって読むことができるようになった。
スマイルズの「自助論」,ハマトンの「知的生活」などは,気持ちがゆったりしている夜などに,時折書棚から出して好きなページを開いて読みふける。なかなかジェントルな時間。
情報取得読書
自己啓発書やノウハウ本など、知りたいことを知るために読む。
斜め読みや一部読みで足りるので、速読も可能
しかし,情報取得読書用と思って本屋で気軽に買った本が,いつしか自分にとってのバイブルとなり,何度も繰り返し読み続け,最後には「味わい読書」を行うようになった例もある。
渡部昇一氏の「知的生活の方法」,山根一眞氏の「スーパー書斎の仕事術」などがそうだ。
勉強読書
専門分野に関する最新情報の取得といった面と、揺るがない基本的なことの学びという面とがある。
長く、不断に続け、自分なりの「観」をつくりその分野における専門家になることを目指す。
速読ができる場合と、速読不可の場合とがある。
指導実践集などは速読OK。
久保貞次郎著作論集などは私の美術教育観を形作るためのものだから遅読が必要。
「子どもの絵の見方」など,少しライトによめる本もある。買ったころはおもしろくてたまらず,ライトさゆえに寝転んで読んだりもしていた。が,これも買ってから20数年間ぼろぼろになるまで何度も読み返しているうちにバイブル化し,今では居住まいを正して読んでいる。
知的鍛錬読書
外部からの何の強制もない。かといって楽しいかといえばそうではない。むしろ苦しい。
純粋に自分の知的能力の向上のための鍛錬
全集の読破とか、岩波の世界の歴史の通読とか、勅撰和歌集の通読とか。
新聞のコラムを丹念に読むといったこともこれに入る。
意味がわからなくてもゆっくりゆっくり読み進めることで、一度は読んだという自信が生まれるし、再読のきっかけも生まれやすく、そこから本物の知識へと向上する糸口になる。
速読不可。むしろ遅読。
ドナルドキーン著作集や古今和歌集などがその例だが、これがいつしか味わい読書の域に上がってきてくれたらうれしい
※注 3月の現在では,「うひやまぶみ」を知的鍛錬読書で読んでいます。
暇つぶし読書
単に笑いたいとか、下世話な好奇心を満足させたいとかそのような読書。
これが悪いかといえばそうではなく、精神浄化にとって良いことだと思う。
何事もバランス。、知的鍛錬読書でへとへとになったら、都市伝説の類とか、ゴシップだとかくだらないものを読んで笑っていい。
漫画は単なる暇つぶしでは収まらないものも多い。その発想に驚きワクワクしながら読むならば、味わい読書として十分時間をとっていい。
暇つぶしとはいっても下世話なものばかりではなく,「フェルマーの最終定理」のような例もある。
これは,最初は数学への興味・関心から,勉強とまではいかないまでもちょっと読んでみたいな,という暇つぶしに近い感覚で買い求めた。ところが読んでいくうちに,数学的な内容についてはちんぷんかんぷんでわからないのに,幾多の人間が挑戦しては途中で舞台から消えていったが,その積み重ねから最後には解決されるというその壮大なドラマ性に惹かれ,とうとう,この手の本にはめずらしく,これまで3度も読み返し,今は味わい読書の範疇に入っている。そういうものもある。
まとめ
ここに書いたものは今の自分の読書について、目的、方法べつに整理してみたものだ。
あくまでも今の段階での状況を切り取ったものであり、完成形ではない。
だから、今後もWorkflowyの中で様さまざまに整理されたり蒸されたりしていくのだろう。
そういう思いを込めてタイトルに2015版とした。
この記事は、Memoflowy で書き、マロ。さん作のスクリプトで するぷろ に渡してブログ記事にしました。
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