そろそろ来年のほぼ日など,手帳が出始める時期になったなあ。
今年は久しぶりにほぼ日を使った年だった。
で,これが結構今年は続いている。
というのも,ほぼ日を使った年は,たいてい5月頃で頓挫してしまうのだ。
それは,書く面積が狭いからだ。
僕は書き出したら止まらないので,その日の記録を書くのに,ほぼ日の面積はたとえほぼ日カズンであってもたりない。
そこで,結局やめてしまう。
しかし,今年は違う。9月が終わろうとしているのにまだ,ちゃんと書いている。
なぜかというと,これまでの反省から,今年はこんな書き方をしているからだ。
今年は,その日に書いたさまざまなメモの中から抜き出して,その日の知的生活の粋をここに抜書をして集めるという書き方をしているのだ。
これは,とても僕の知的生活への希求生活にあっている。
「集める」ってのがいい。
で,いつやっているかというと,これは寝る前に布団の中でその日一日のメモを枕元に持ってきて見返しながら抜き出してる。
枕元に持ってくるメモは,
🍏ダイスキン(ダイソーのモレスキン的な100円手帳 けっこういい)
🍏WorkFlowy(に集めたメモ)
🍏DynaList(に集めたメモ)
🍏たすくま(に書いたメモ)
🍏大きなノート(次を参照)
本を読んでもなかなか理解できない人(私) 大きい紙に真ん中から書いていけばたいがいは何とかなる
🍏そして,近頃,これにGoogleドキュメントが増えた。(次を参照)
ほぼ,これらに,今日の僕のメモ書きが散らばっている。
これらをつらつら眺めながら,ほぼ日に「これ」というメモをコレクションしているのである。
これだと,「足りない!」ということがないので,とてもよい。
足りなくない程度に抜き出してくるからだ。
抜き出すという行為は,編集だ。
知の編集なのだ。
このようにして集めてきたメモは,見返し甲斐がある。
だって,その日の知的生活の粋だから。
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