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目次
30年間に起こった考えられないイノベーション
私がまだ20代だった80年代初頭、世の中にワープロが登場。
程なくしてコンピュータが、個人の手に入る時代がやってきました。80年代中頃のことです。
80年代終わりにはパソコン通信が始まり、個々のコンピューターはネットワークで繋がるようになりました。
そして90年代中頃、インターネットの時代が始まります。
この間、これまでの概念にはなかったさまざまなイノベーションが起こりました。
カセットウォークマン全盛時代からMD、MP3プレイヤー、iPod、Apple WatchとAirPodsなどモバイルオーディオ関連の変遷。
VHS肩掛け式ビデオカメラ,8mmビデオ、パスポートサイズ、カラー液晶、デジタルビデオ、ハイビジョンカメラ、4Kカメラ、スマホというようなとんでもないビデオの進化の歴史。
デジカメでは、初期の解像度競争時代を経て、一眼、ミラーレス、高級コンデジ、フルサイズミラーレス一眼などの進化が起こっています。
外部記憶媒体の進化も著しいです。フロッピー、ハードディスク、MO、USBメモリ、SDカード、クラウド(ワイヤレス)など、とうとう目に見えない世界での話になってしまいました。
1980年代の人間には,たった30年後の今の時代のテクノロジーは理解すらできません。
そんな次々におこるイノベーションとともに生きてきた私は、実際に目の当たりにしたさまざまな驚愕、感動、興奮をこのサイトでたくさん記事にしてきました。
私たちの頭は次々とアップデートを余儀なくされたのです。
それらをまとめておきたいとおもいます。
ワープロで人類は生まれ変わった
ワープロというものは,タイプライターのようなもの。80年代当時に生きている人間は,そのような理解しかできませんでした。
それまでに見たことがあるものでしか,その意味をとらえられないからです。
そこに「入力」と「印刷」のタイミングをずらすことができるということの価値などまったくわかりません。
そんなすごいものだとは思わずにこわごわとキーを打った1984年。打った文章を保存できないということの意味すら分かりませんでした。
保存できないということで手痛い被害を被った私たちは,ワープロ反対派に回りました。
文書清書機でしかない,単なるおもちゃ。そんなものを買う必要はない。
そう主張したのはたった3名。
結局職場でワープロを買うことになりました。
そして,その3名がワープロの価値を見出し,職場にイノベーションを起こしていきます。
1980年代に初めてワープロに出会った人たちは何を感じていたのか
「ワープロというのは,ただの文書清書機だろ?」80年代に生きていた私たちは,それ以上のことを考える材料を持たなかった。まさか人類の知的生産の在り方を変えてしまうものだったとは・・・
80年代のパソコン黎明期
80年代に起きた様々なイノベーションのうち,最大のものはパソコンの登場だと思います。
漫画の中で,21世紀には家庭にコンピューターがお目見えすると言われてましたが,その未来が21世紀を待たずしてやってきた。
そんなすごい感覚ではなく,一部のマニアの間でじわじわと広がってきていて,いつの間にか自分の隣にまで来ていたという感じといったほうがピッタリあいます。
一部のマニアが手にする珍しい機会ですから,36万円なんていう価格は高いとは思いませんでした。
車を買うのに80万円が高いとおもわないのと同じように、パソコンに30~40万円出すのを高いと思わないわけです。
パソコンを買うということは、30万ほどの金を出すということだったんです。
下の記事には,そのあたりの貴重な経験が書かれています。
パソコンのワープロは,なんでもできる
当時,私達がパソコンに抱いたイメージは,「何でもできる」
ワープロでもあり,ゲーム機でもあり,データベースでもあり。
そんな,何でもできる機械というものが,それまで存在しなかったんです。
それは,専用機というものを凌駕していきました。
画面が大きくてなんと色までツイている!
当時のワープロ専用機は,パソコンと同じくらいの大きなモニターを備えたものになると,やはり30万円くらいしていたのですが,それでもできなかったことがパソコンのワープロソフトではできるようになっていきました。
色です。
画面上で色を付けられるんです。
これには参りましたね。
その他の表現力もすごいものでした。
当時のワープロには,縦倍角,横倍角くらいしかなかったものですが,なんと,1/4角などという縮小文字まで可能にすることで,文書の中での文字の強調の幅が大きく広がりました。
さらに,明朝体とゴシック体の2つのフォントを同一文書内で使い分けるなど,「WYSWYG」(What you see is what you get 見たままに印刷できるよ)という,デスクトップパブリッシングのコンセプトなど,当時のワープロ専用機では表現できなかったことをどんどん可能にしていきました。
この「デスクトップパブリッシング」というコンセプトを,当時の普及機PC-88シリーズに持ち込んだ伝説のお化けワープロがこちらです。
知りたいことがなんでも詰まっているデーターベースになる!
パソコンさえあれば「データ」というものが身近になる。
「データ」。
なんて甘美な言葉でしょうか。
パソコンさえあれば,自分で「データベース」をつくれるのだ。素晴らしい。僕は,ワープロだけでなく,データーベースにもなる,というパソコンに心底惚れ込み,データーベースを構築しようとしました。
一人でデータベース構築を目指した1980年代~「データ」という言葉が光り輝いていた
パソコンのゲームやるとファミコンなんてやってられないさ
当時すでにファミコンは円熟期を迎えていました。
しかし,出回っているゲームの多彩さ、グラフィックの美麗さ、美しい音,本格的なゲームシステムなど,どれをとっても,ファミコンの比ではありませんでした。
パソコンのゲームの優れた面を好んでいた私はファミコンには目も向けませんでした。
スーパーファミコンの登場により,始めてゲーム専用機がパソコンの能力を超えるまで,それは続きました。
パソコンを持っていると、ファミコンでは味わえないような高性能の、美麗な、大人向けのゲームができる。
これがパソコンのアドバンテージだったんです。
パソコンを持っていると、ファミコンでは味わえないような大人向けのゲームができるアドバンテージがあった
君は、パソコンがほかのパソコンに繋がった時の喜びを想像できるか?
1980年代の終わり,パソコンは通信能力を手に入れます。
そう「パソコン通信」です。
それまでは,パソコンやワープロは、それぞれ独立した機械。
しかし、それらが電話線一本で繋がってしまうことを経験した時、人類は一つ前に進みました。
パソコンやワープロの画面の向こう側に、確実に誰かがいる。
自分たちは一人じゃない。
それをリアルに感じた時の輪、私たちの喜びは、宇宙をさまようロケット乗組員が、友好的な知的生命体のいる惑星を見つけた時の喜びに近かったのかもしれなかったかもしれません。
後年,ゲームのマインクラフトで,長く一人で放浪した先に,遠くに人の住む村をみつけ,「この世界に,僕は一人じゃなかった!」とほっとしましたが,そんな感覚でした。
インターネットの衝撃
パソコン通信全盛時代の私達にとって、1994年頃までのコンピュータネットワークとは、ホスト局とつないでその中で情報のやり取りをするものでした。
その中から出ることはできません。
だから、ウェブというものの概念はわかりませんでした。
「ホスト曲が無いってどういうこと?」
それが分かった時の衝撃とは?
2000年初頭 黎明期の終わり
インターネットが始まることで,世界は激変しました。
2000年以降は,もはや黎明期という名前でくくれるものではなくなります。
黎明期は終りを迎えるのです。
2012年の記事だから,実際には2002年のメモから。109万画素の高解像度デジカメ,内臓HDD4Gの大容量PC,USBメモリの衝撃,MP3プレイヤーなど10年前の私がメモしていたこと
1980年代という時代に,一体何が怒っていたのか
今考えると,この,1980年代から1990年代中頃までの時代は,テクノロジーの特異点であったかのような気がします。
「見たこともないあたらしいもの」が次々と私達の生活の場に入り込んできたからです。
音楽を外に持ち出せたり
ビデオという,8mmや16mmフィルムと違ってテープを見ても映っているものが見えないという,つかみどころのないものがでてきたり
紙や鉛筆がなくても文書を作ることができ,それをあとから好きな時に実体化(プリント)することができたり
見たことがあるものの改良版ではなく,概念そのものがないので理解すらできないというものがたくさん出てきたんです。
90年代後半からは,それまでのものの発展型でしたので容易に理解できました。
iPodなど,結局は「外に良質の音楽を持ち出す」というウォークマンの概念の先にあるものでした。
ビデオから,デジタルビデオになるのも,概念としてはなにも変わりません。
僕たちは,見たこともないものを見る等経験を,2007年のiPhoneの出現まで待たなければなりませんでした。
1980年から2000年というインターネット前夜の時代を黎明期と,僕は勝手に呼んでいます。
それはあながち,言い過ぎではないと思います。
80年代と言う黎明期に一体何が起こっていたのか。
更新履歴
2019-7-4 公開
2021-7-18 大量に追記
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