10 黎明記

「データ」という言葉が大好きで,一人でデータベースを構築しようと

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僕は,「データ」という言葉が大好き。

なぜかはわからないけど,「データ」という言葉を見たり,聞いたり,言葉にしたりするたびに宝物の箱をあけているような気分になる。

僕にとって,「データ」という言葉は,僕の中の何らかを覚醒させる魔法の言葉のようだ。

 自前でデータベースをつくろうとした1980年代

そういうことに気付いたのは,先輩が不用になったパソコンを学校の放送室に運び込んできてくれ,それを触るようになったころではなかったか。1985年ごろだったと記憶している。

それまでパソコンなんて触ったこともなかったけれども,キーボードをたたいて数値を入力していき,「Run」というファンクションキーを押したとたん,そのデータの処理が始まり,一瞬にして並べ替えたり,分類したり,ラベルをつけて示してくれたり,といったことをしてくれる。この初めて見る魔法のようなアウトプットに,これまで感じたことのない知的な心の震えを感じたのだった。

それからだ。データという言葉に反応するようになったのは。

パソコンを使う以上,私はそれを知的生産に使いたかったし,そのためにはデータベースを構築したかった。

ほしい情報を瞬時に取り出してくれるデータベース。

今でこそ,インターネット自体が巨大なデータベースであり,インターネット・ネイティブの人たちにはそれがあたりまえなのだが,パソコンによる通信手段を得る以前の人間にとっては,ほしい情報を得るためには,とりあえず深夜であろうと本屋に走るしかなかったのだ。(空いている本屋があれば,であるが)

だから,ほしい情報がたちどころに手に入る環境を喉から手が出るほど欲した。

ぼくは,1986年の12月に,結婚したての妻からボーナスでかってもらったPC8801mhでデータベースをつくろうとした。

そして本屋に行き,そのための参考書を買いこんできてむさぼり読んだ。

結果,そんなシステムを自前でつくるのは無理だということがわかった。ファイルシステムというハードをいじる知識が必要になってくるからだ。

しかし,「データ」という言葉の魔力からはのがれられない。

世の中に「データベース」を構築するソフトがあることを知った。

そのソフトを使えば,あとはデータを蓄積するだけだ。

そうだ。

私にできるのはそういうことなんだ。

データベースのための環境を作るためにプログラミングをする必要はない。

ソフトを使ってデータの蓄積をすればいいのだ。

しかし,当時の8801という8bitマシンにそんなデータベースのソフトは存在しなかった。

私が1988年に,36万円も出して8801を買ってもらってからたった1年半後に今度は41万円も出してもらって16bitのPC9801を買ったとき,私の頭には,「これでデータベースを構築できる!」という大きな期待が渦巻いていた。

データベースソフトにデータ入力をひたすら行った1990年代

9801を買ってから,すぐに一太郎Ver3を買って,仕事環境をつくったあと,私は満を持してデータベース環境をつくる。

サムシンググッド社の「Ninja」の購入だ。

カード型データベースの雄。

私はその後,5年をかけて,教育雑誌から「なんという題名の記事が何月号の何ページにのってる」とうインデックス・データをちまちまと打ち込み続け,とうとう1000件まで蓄積した。

そして1995年。

わたしは5年続けたその蓄積をやめた。

これだけやって,やっとわかったのだ。

データベースは,一人でつくるもんじゃないということが。

蓄積の労に比べて,検索による成果,つまり「必要な情報が見つかったー!やったぜ!蓄積しておいてよかった!」といったことがあまりにも少なすぎたからだ。

すでに1990年代の初めにパソコン通信の時代を迎えていて,新聞の過去記事などの情報は自宅のデスクトップから検索できる時代に入っていた。

そして1995年。インターネットによって,個人によるデータベースの蓄積に終止符が打たれた

インターネット・ネイティブの皆さん。

パソコンがネットでつながっていなかった昔は,「情報」とか「データ」というものに対して,これほど真摯に,また渇望しながら向き合っていたのです。

必要な情報を手に入れる環境を創るためならば,時間もお金もいくらでも捧げます,という時代があったのです。

そういう私たちにとって,初めて私のパソコンがネットにつながり「ぴーころころころ」というモデムの音とともに「画面の向こうにある世界」とつながったときの驚きや感動がどれほどのものであったか。

「私のパソコンはひとりではなかった。今や世界中とつながった」という感覚を得た時の,ワクワク感がどれほどのものであったか。

 

そういうひとつひとつのイノベーションによるワクワク感の先に,今当然のようにほしい情報をネットで調べるという当たり前のような世界が存在しているのです。

 

なんだか書いているうちにとりとめがなくなってしまいました。

はじめは「データ」という言葉の魅力について語ろうとおもっていたのですけれども。

追記 この記事は@ruu_emboさんとの会話から生まれた

この記事を描いている間中,@ruu_emboさんとの間でのTweetを思い出していました。

@ruu_emboさんはこの20年間のことを「超絶進化」と述べておられます。@ruu_emboさんがおっしゃるように,そのビフォーアフターを両方体験できたことはとても素晴らしいことだと思います。







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