僕は,「データ」という言葉が大好き。
なぜかはわからないけど,「データ」という言葉を見たり,聞いたり,言葉にしたりするたびに宝物の箱をあけているような気分になります。
僕にとって,「データ」という言葉は,僕の中の何らかを覚醒させる魔法の言葉のようです。
目次
自前でデータベースをつくろうとした1980年代
そういうことに気付いたのは,先輩が不用になったパソコンを学校の放送室に運び込んできてくれ,それを触るようになったころではなかったかと思います。
1986年ごろでした。
それまでパソコンなんて触ったこともなかったけれども,キーボードをたたいて数値を入力していき,「Run」というファンクションキーを押したとたん,そのデータの処理が始まり,一瞬にして並べ替えたり,分類したり,ラベルをつけて示してくれたり,といったことをしてくれるパソコンに初めて触れました。
初めて見る魔法のようなアウトプットに,これまで感じたことのない知的な心の震えを感じたのでした。
それからです。
データという言葉に反応するようになったのは。
パソコンを使う以上,私はそれを知的生産に使いたかったし,そのためにはデータベースを構築したかった。
パソコンでデータベースのシステムを構築しようとする
ほしい情報を瞬時に取り出してくれるデータベース。
今でこそ,インターネット自体が巨大なデータベースであり,インターネット・ネイティブの人たちにはそれがあたりまえなのですが,パソコンによる通信手段を得る以前の人間にとっては,ほしい情報を得るためには,とりあえず深夜であろうと本屋に走るしかなかったのです。(空いている本屋があれば,ですが)
だから,ほしい情報がたちどころに手に入る環境を喉から手が出るほど欲していました。
パソコンがあれば,それができる。
言葉を入力すれば,たちどころに必要な情報が手に入る魔法のような環境。
ぼくは,1986年の12月に,結婚したての妻からボーナスで買ってもらったPC8801MHでデータベースをつくろうとしました。
そして本屋に行き,そのための参考書を買いこんできてむさぼり読みました。
ワクワクしていました。
・・・・結果,そんなシステムを自前でつくるのは無理だということがわかりました。
ファイルシステムというハードをいじる知識が必要になってくるからです。
しかし,「データ」という言葉の魔力からはのがれられない。
データーベースソフトのプログラミングは無理だと知る
世の中に「データベース」を構築するソフトがあることを知りました。
ソフトを使えば,システムを自分で構築することはありません。
私がすることはデータを蓄積するだけです。
そうだ。
私にできるのはそういうことなんだ。
データベースのための環境を作るためにプログラミングをする必要はない。
ソフトを使ってデータの蓄積をすればいいのだ。
パソコンを使えば何でもできると思っていたので,やりたいことは自分でプログラミングすればいいと思っていたのです。
しかし,それは無理だということがわかりました。
そして,ソフト自体を作るということと,ソフトを使うということは別だということが,初めて自分に認識されたのでした。
しかし,当時の8801という8bitマシンにそんなデータベースのソフトは存在しなかった。
私が1988年に,36万円も出して8801を買ってもらってからたった1年半後に今度は41万円も出してもらって16bitのPC9801を買ったとき,私の頭には,「これでデータベースを構築できる!」という大きな期待が渦巻いていました。
データベースソフトにデータ入力をひたすら行った1990年代
9801を買ってから,すぐに一太郎Ver3を買って,仕事環境をつくったあと,私は満を持してデータベース環境をつくります。
サムシンググッド社の「Ninja」の購入です。
カード型データベースの雄。
データベースは一人で作るもんじゃない
私はその後,5年をかけて,情報を打ち込み,蓄積しました。
教育雑誌から,「なんという題名の記事が何月号の何ページにのってる」とうインデックス・データをちまちまと打ち込み続け,とうとう1000件まで蓄積したのでした。
そして1995年。
私は,5年間続けたその蓄積をやめました。
これだけやって,やっとわかったのでし。
データベースは,一人でつくるもんじゃないということが。
蓄積の労に比べて,検索による成果,つまり
[st-kaiwa1]「必要な情報が見つかったー!やったぜ!蓄積しておいてよかった!」[/st-kaiwa1]
といったことがあまりにも少なすぎたからです。
すでに1990年代の初めにパソコン通信の時代を迎えていて,新聞の過去記事などの情報は自宅のデスクトップから検索できる時代に入っていたのでした。
それなのに,私は一人で奮闘し続けてきたのでした。
個人によるデータベースの蓄積に終止符が打たれた
そして1995年。インターネットによって,個人によるデータベースの蓄積に終止符が打たれました。
インターネット・ネイティブの皆さん。
パソコンがネットでつながっていなかった昔は,「情報」とか「データ」というものに対して,これほど真摯に,また渇望しながら向き合っていたのです。
必要な情報を手に入れる環境を創るためならば,時間もお金もいくらでも捧げます,という時代があったのです。
そういう私たちにとって,初めて私のパソコンがネットにつながり「ぴーころころころ」というモデムの音とともに「画面の向こうにある世界」とつながったときの驚きや感動がどれほどのものであったか。
「私のパソコンはひとりではなかった。今や世界中とつながった」
その感覚を始めて得た時の,ワクワク感がどれほどのものであったか。
そういうひとつひとつのイノベーションによるワクワク感の先に,今当然のようにほしい情報をネットで調べるという当たり前のような世界が存在しているのです。
現在は,集合知の時代です。
あなたの経験や知識は,そのまま誰かにとっての価値になる。
そして,それを世界中の人に向けてシェアすることができ,巨大なデータベースの情報の一つになる。
そのような経験が普通にできる。
かつて,それを一人でやろとして力尽きた私のような人間が,あふれるほどいた時代があったことを知っていただくと,インターネットを使うことに,ほのかなワクワク感を改めて味わうことができるかもしれませんね。
追記 この記事は@ruu_emboさんとの会話から生まれた
この記事を描いている間中,@ruu_emboさんとの間でのTweetを思い出していました。
@ruu_emboさんはこの20年間のことを「超絶進化」と述べておられます。@ruu_emboさんがおっしゃるように,そのビフォーアフターを両方体験できたことはとても素晴らしいことだと思います。
@Lyustyle 最近よく思うのですか、この20年って明治維新以来の電気とか自動車みたいな超絶進化(メール!ケータイ!パソコン!)とかをADBC(ビフォーアフター)両方体験できたことって、乗り遅れ世代だけどすごく得難いことなのかなと。
— るう@音の鳴る葉 (@ruu_embo) 2015, 11月 25
@ruu_embo パソコン通信では、リアルな「今」は、モニターの一番下の一行だけで、それより上は過去のものになってしまってもういじれないものだったのに、インターネットでは、画面全部を触れる。1995年のある日のことですが、それを見てぶったまげました。 — Lyustyle (@Lyustyle) 2015, 11月 25
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更新履歴
公開:2015-11-30
追記:2019-6-5
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