山根一眞氏の著書で,昭和62年、1987年に買ってから30年近くその考え方ゆえに私のバイブルであり続けた「スーパー手帳の仕事術」
ほぼ毎年、読み返したくなる時期があり、今年も読み返しているところ。
その中にこんな文面があった。
なんでも電子化すればいいというのは、まだまだ技術が未熟な現在では愚かなことで意味がないと思う。」
これは、山根氏が名刺大のカードの裏表にワープロで作成して縮小コピーをかけた200人分の電話番号を貼り付けて持ち歩いているということを書かれた件での文章。
当時電話番号リストが入れられるカシオのデータバンクという「電子型ポケコン(注 ポケットコンピュータのことを当時はポケコンといっていた)」を買って使ってみたら入力できるのは3009文字分.
しかし,自分がつくった名刺型住所録は4800文字分が収まっている。それと比較しての言葉だ。
私も当時同じようなことをしていた。
友達が当時大流行りしていた電子手帳を見せ、スケジュールも電話帳も電卓もこれひとつで全部できるといったとき、私はポケットから名刺入れを出して見せた。
「うん。それと同じこと、それで全部できるよ。はるかに安いし、軽いし、電池の心配もないし、おそらく何十年でも残ってるよ。」
私は名刺入れに名刺大の年間スケジュール帳、電卓カード、そして150人分の電話番号が書かれた住所録,そして名刺大の情報カードを入れていた。私はそれを常に持ち歩いていたのだ。
それひとつでスケジュール管理も,メモも,電話番号の検索も,計算もすべてできる。
「おそらく何十年でも残ってるよ」といったのもその通りで、電子手帳はその後廃れて、今はその中に入れてあったデータを利用することはできなくなっているはずだが、私が見せた住所録やカードなどはまだ残っている。
だから、山根氏のこの文章にはとても共感したものだ。
まあ,実を言うと,当時電子手帳はどうしてもほしかったのだが,子どもが生まれるころで小遣いもあまりなく,買えなかったので,代替品をつくってがまんしていただけなのだが・・。
1986年当時の私はパソコンのワープロを使って周りに先駆けて論文やレポート、指導案、行事のための実施案などを書き始めていた時期で、なんでもパソコンでやろうとするパソコンオタク(そんな言葉まだなかったが、)だと思われていた節があったので、「これひとつでいけます」と胸ポケットから出した名刺入れは結構驚かれたものだ。「そこは当然電子手帳でしょう?」と思われていたのちがいない。
以来、今に至るまでそれは続いている。のどから手が出るほどほしかった電子手帳を変えなかったおかげで,私はなんでもかんでも電子化する,という道に迷いこまずにすんだといえる。
ザウルスやクリエ.シグマリオンなどのいわゆるPDAを取っ替え引っ替え使ったり、iPhoneやiPad、Apple Watchなどをいち早くかったりなど、周りからは先端のものをすぐに欲しがる人間と思われているし,実際新しそうで便利そうなものがでてきたら一度は試してみないときがすまない。
でも、基本はペンで書くことを大事にしている人間なのだ。
いくら技術が進歩しても、紙に直接書き、それをパラパラとめくり返すという行為に代替できるものはまだ出てきていないと思う。
だから、私はiPhoneを、駆使しながらも「薄いメモ帳」を使うのだし、Mindmap用の手帳を持って歩くのだし、それらのコアとしてのシステム手帳を29年間使い続けているのだ。
薄いメモ帳を10日間使ってみての状況 | 知的生活ネットワーク
山根氏のこの言葉は、おそらくまだまだあと20年くらいは生きていくのではないかと思う。
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