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ブログを書けなくなっていたわたし 〜Totty*さんへ感謝を込めて〜

知的迷走日記保管庫

昨日、実に一ヶ月ぶりくらいにブログを書くことができた。

書きたくてもかけないでアップアップしていた自分に、えいや!と気合をいれたのが昨日の記事。

わたしは「何かを書くことをやめることができない」人間なので、始終何かに何かを書いている。紙にものを書きつけるとき、実に幸せな気分に浸れるというわれながら面白い人間だ。

だから、ブログが書けない間も「ああ、ブログが書きたい、ああ書きたい」と思いつつ、何らかのノートやiPhoneのアプリにラクガキをし続けてきた。

 

しかし、そのこととブログに書いてアップロードするということとは、根本的に心の働き方が違う。

気楽に、リラックスした中で紡いだ言葉を、そのままブログでアップロードできるかというとまったくそんなことはできない。

何が何だかわからない言葉の羅列であったり、

あたためているお話のあらすじとか登場人物の履歴書であったり、

今テレビで見た人のかっこいい言葉であったり、

コーヒー飲みながら、目の前で読書に没頭している人をさらさらとクロッキーしたものであったり、

そんなものはそのままブログとしてアップロードすることはできない。

いちど、推敲を経て、ちゃんと編集してからでないと・・・

 

そのように考えた瞬間、心のなかに「義務感」がめばえてしまって、「ああ・・・後でいいや」という気持ちが沸き起こり、

結果、今日も書けなかったなあ、まあいいや。明日こそは書きためた中から何かアップロードしようと思うことをここ数ヶ月繰り返してきた。

 

これではいかん!と思い、昨日は「もう、いいや」と思う心に鞭打って記事を書いたのだが、なんとタイムリーなことに、次の記事をTwitterで見つけたのだった。

 

「ブログが書けない」と悩んでいる僕へ | utakata-days

Totty*さんの書かれた記事だ。

これ、わたしに向けて書かれた記事だ!と思った。

君がブログが書けないと思っているのは、「読んでくれている人を意識しすぎている」からじゃないのかい?

はい。その通りです。

でも、少し肩の力を抜いて、自分がくだらないなと思うことも書いてもいいんじゃないかな。

君がくだらないと感じても、誰かの心を温める。誰かに感謝されることがある。そう考えたら、「書くことがない」ことはなくなるはずだ。

くだらないことが誰かの役に立つことがある。

もう一度ブログをはじめたころを思い出してごらん。

はい。目が覚めた気分です。

とにかく書きはじめよ!

書き続けろ!

そして書くことを苦痛にするな!

話はそれからだ。

はい!わかりました!

・・とそんな気分になった。

 

どうしても、ブログで公開する以上、「誰かに読まれるもの」と思うと、読んでいただくに値するものを書かなければという気持ちは当然起こる。心に余裕がないときは読んでいただくための文に高めるという心のエネルギーのリソースが残っていないので、結果書けなくなる。

だから、書けない、書けないできたのだが、「くだらないことが誰かの役に立つことがある。」と思うことができればいいなあと思った。

今はやたらと忙しく、毎日何かに追われていて緊張が続き、心の平安が保ちにくい状況であるからなおさらだ。

そうでないと、とてもブログを書くということは続けられない。

 

では、なんでそこまでしてブログを書くのか、というと、それは「読んでもらいたいから」というよりも、Web上のリソースに自分も「積み重ねたい」という気持ちであるように思う。

自分のPCのHDD内にのみ積み重ねるのもいいが、世界の知のリソースの一部になるのもおもしろい。そう思ってブログを公開してきている自分を今回見つけた気がする。

・・ならば、自分がくだらないと思われることを書いてもいいじゃないか。

 

そんなことを考えさせられた記事でした。

Totty*さん、よい記事をかいていただき、どうもありがとうございました。

2015-11-04 12.09.17

 

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