2006年頃瞑想に出会い、もう10年がすぎました。
「瞑想って無の境地にならないといけないらしい。そんなの超人ではない自分にはできない。」
長いことそう思ってきましたから、日本を騒がせたあるカルト集団のイメージもあって、なんだか瞑想って怪しいものだという漠然とした思いがありました。
僕にもできる
しかし、瞑想についての本を読んでみると,次のようなことが書いてありました。
「雑念が浮かんでくるに任せ、浮かんできた雑念をずっと追いかけている自分に気づいたらすぐにそれをすっと受け流す。
そして次の雑念が生まれてそれをいつの間にか追っかけている自分に気づいたらその時点でまた受け流す。
そうやって浮かんでくる雑念を受け流し受け流ししていくうちに、いつの間にか浮かんでくるものがなくなり無の境地になる。」
そうか、それなら私にもできる。
そう思って私は瞑想を始めることにしました。
実にシステマティックではありませんか。方法がはっきりとしめされているのですから。
人類はその経験からこのようなことを何千年も前に気づいて始めたのかと思うと,人間というのはすごいものだなと思います。
マントラは,瞑想のためのツール
瞑想を効果的にするには「マントラ」というものがあります。
浮かんでくる雑念をからめとって受け流すのを助けてくれる役目をするツールとしての「言葉」です。
マントラってよく聞きますよね。
ゲームにもでてきます。
私はなんだか呪文のようなイメージをもっていました。
ある本の中で、このマントラを得るために10万円位するような名称のセミナーを受けるようにすすめられていました。
一人一人にあったマントラを下さるので10万円いるとのことですが、私はそれは望んではいません。ちょっと10万円は高いですよね。
でも10万円をださなくても,私はすてきなマントラを知っていました。
The Beatlesの一員だったJohn Lennonが、1973年にMind Gamesという曲をだしました。その歌詞に「マントラ」が出てきます。
「Chanting the Mantra pieace on earth」
世界の平和を祈りながらマントラを唱えようという意味でしょうか。
The Beatlesは若い頃インドで瞑想の手ほどきを受けていましたので、ジョンはよく宗教的な歌詞を書いています。
そのJohnが書いた,The Beatles時代のAcross the universeという曲の中に「Jai Guru Deva Om・・・」という歌詞が出てきます。
実は、これはサンスクリット語のマントラであると言われています。
意味は「勝利・・先生・・・純粋さ、神性・・・・(世界の始まりの振動)」ということなのだそうです。
このマントラは世界で最もポップでよく知られたマントラだと言えます。
最後の「om オーム」はそれだけでもっともシンプルなマントラです。
Hearty Womanより
ビートルズの曲に出てくるマントラ | Hearty-Woman
だから、瞑想をしながら「Om ・・・Om・・・」と唱え続ければいいわけです。
マントラっていうのは、それを唱えるといいことがある、というようなことではなくて、目を閉じて呼吸に合わせて「Om・・・Om・・・」と唱えていると、雑念がどんどんでてきて、そのマントラの「音」がそれをからめとって持って行ってくれる。すなわち、受け流しやすくなるんです。そういうツールとしてあるんですね。
私は瞑想に出会ったとき、マントラというものについてそのような理解をしました。
瞑想は「脳のデフラグ」
そうして、10年間、ときおり瞑想のセッションをしてきました。
この10年間の中で、無の境地らしきものになったことがたった1回だけあります。でもそれ以外の無数のセッションは結局雑念が浮かびまくりのまま終わってしまいました。しかしそれはそれでよかったです。瞑想をした分、頭が整理されていくことには間違いないみたいです。いいかえると、脳のデフラグが途中ぐらいまでは進んだということです。
瞑想は脳のデフラグ。
実に科学的です。私が瞑想をやってみようと思った一番の理由はこれでした。
*
僕の瞑想的な3つの方法
さて、瞑想から少し離れます。「瞑想的なもの」の話です。
座禅を組んでの瞑想という形でなくても、瞑想的な気分になれるものは方法をいくつか持っています。
瞑想的なものとしてのウォーキング
一つ目はウォーキング
私にとってのウォーキングは健康のためでもありますが、実は歩きながら頭の中を空っぽにするためと言う理由の方が大きいです。
歩き出して1時間もすると頭の中が真っ白になり、様々な発想が浮かんでくるのは本当です。
これは、若い頃、渡部昇一氏の著作から学びました。池の周りを何周も何周も歩いていると確かにそのようになるのです。論文を書いたり、授業の計画に詰まったりしたとき、よく私は歩きにでました。歩いているうちに多くのことが解決するからです。
おそらく、呼吸と、歩くリズムに秘密があるのだと思います。
呼吸をしている音や、規則正しい足音がきとマントラの役目をして、私の中の雑念を絡め取りどこかにやってしまい、そして脳のでフラグを促して、つまっているものを勝手に解きほぐしてくれるんじゃないかと思うのです。
デジタルペインティングによる「心の絵」
二つ目はデジタルペインティングによる「心の絵」です。
2000年初頭あたりから、私は「心の会」と題して5分ほど心の赴くままに筆をを走らせていくと言うことをやっていました。
このブログにも瞑想的な絵という記事を書いています。
【デジ絵】瞑想的10分間お絵かきみたいなことはじめて見た | 知的生活ネットワーク
何も考えずに、その時に使いたい画材、たとえば絵の具であったり、チョークであったり、マーカーであったり、ペンであったり。それを選び、その時に使いたい色を選んで、心の赴くままにスクリブルしたり、小さいまるをたくさんかいたり、てんてんてん・・としていったり、パターンを並べたり。
だから、日によって全くできる絵が違うのです。赤っぽい絵ができる日があったり、妙に色を使わない日があってみたり。
そういうことをやっていると、心が落ち着き、すっきりしていきます。
後から瞑想始めるようになってこのことに気づきましたが、デジタルペインティングによる「心の絵」は実に瞑想的なものです。
近年Zentangleが人気ですが、それらが出てくる以前から、私のように様々な人が様々なところで、線や色を紡ぎ出すところに瞑想的な意味合いを感じとり、おこなってきていると思います。
リラックスノート
三つ目はリラックスノートです。
リラックスノートについては、このブログで何度も記事にしてきています。
ラクガキの効用 リラックスノートについて | 知的生活ネットワーク
【ノート】ここでようやくリラックスノートについて語る | 知的生活ネットワーク
上にあげたデジタルによる「心の絵」のアナログ版。実際のノートに実際のペンで落書きをするものです。
*これも相当頭の中がリラックスします。何かを書こうと言うわけではなくただ落書きをしていくだけですけれども。
*
私の場合、こういうことを「今日はこれ、明日はこれ」と言うようにいろいろ組み替えてやってきました。「これひとすじ!」というようにやってきたわけではありません。ですからそれぞれの事について専門的なことを書けるほどの経験は積み重ねていません。
瞑想を10年もやっているのに瞑想についての本を書くことができないし、落書きは何十年もやっているのにタムカイさんのように落書きノートについての本を書くこともできません。
でもあと10年ぐらいすれば、もしかしたらそれらひとつひとつがさらに積み重なって何かを書くことができるようになっているかもしれません。
それはまた楽しみなことです。
コメント