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好きなことをして生きていくという言葉について

知的迷走日記保管庫

先週、YouTuberという肩書きを持つ人の話が話題になっていました。YouTuberとして広告料で食べていくために、生業であるトラックの運転手を止め事務所まで借りてしまったというのです。奥さんも子供もいるらしく、今後のことが心配されます。すでに何百本も動画をあげているのに、ほとんどが一桁の再生数だといいます。

直接ソースに当たったわけではないのでこのことの真偽については詳しくは知らないのですが、もし本当でなくてもそのような状況が今後起こりうる、という危惧を持ったので考えを述べてみたいと思います。

また、ちよっと上から目線の書き方になっていますが、中高生向けに書いているのだと思って読んでいただけるとありがたいです。

言葉の意味の取り違え

この、「 好きなことをして生きていく」という言葉。
近年このような言葉をタイトルに入れた本が見られるようになった。
立花岳志さんの「 サラリーマンだけが知らない好きなことだけして食っていくための29の方法」
その立花さんが紹介していた心屋仁之助さんの 「 『好きなこと』だけして生きていく」など。

これらの本で言われている好きなことをするとは、他人に振り回されない自分を持ち、自分の強みを生活に生かしてより良い生活に改善していくということであり、決して仕事を辞めて楽をして生きて行きなさいということではない。
立花岳志さんも、ブログで何度もフリーになれ、という意味ではないと言われている。

それどころか、好きなことをして生きていく自由を持つのはそれなりのリスクをとることを承知の上で行動を変えるという勇気を必要とするものだ。
孫引きになるが、立花さんがブログで引用していた心屋さんの言葉を引用させていただくと、

「安定を手放すとか、収入をなくすとか、築いてきた地位や立場を捨てるとか、とにかく一番恐ろしくて、絶対それだけはありえない、というところに飛び込まないと、好きなことをしては生きていけません。

つまり好きなことをするには、一番嫌なことをしなければいけないのです。」

ということになる。つまり、楽して生きるということとは反対の意味を持つものだ。

ところが、好きなことだけ、という文言を安易に受け取り、仕事をせずにしたいことだけをしてお金はザクザク入ってくる生活、というイメージでこの言葉を捉えている人たちがいるようだ。
最初に出した例の人や、HIKAKINチルドレンといった人たちはまさにそのような人たちではないかと思われる。
最初にあげた人は、心屋さんのいう、一番嫌なことをしてフリーになったわけだが、残念ながら次にあげる土台作りをしていない。

土台を作る

好きなことをして食べていけるようになるまでには、それなりの苦労や工夫に基づく長い時間をかけた土台づくりが必要だ。この土台があって初めて好きなことをして生きていくことができるのだ。いざと言うときその土台がものを言うからだ。

たとえば、この話の大元になっているHIKAKINという人。「僕の仕事はYouTube」という本を去年出した有名なYouTuber。
調べたところ179万人というすごい数の登録者がいて、10万単位の再生数の動画ばかりだ。
これだと相当多くの広告料が入っているだろう。
動画を上げるだけで食べていけるならこんなに楽なことはない。僕も私も、と真似をしたくなる人が増えたわけだ。
そしてこの人のように広告料で食べていきたいと多くの中高生が似たような動画をあげているという話を聞く。

しかし、このHIKAKINいう人は単に動画で広告料を儲けようと思ってYouTuberになったわけではない。
この人にはヒューマン ビートボックスという技があって、最初はそれを地道にやっていく中で有名になったのだ。ひたすらその技を磨いて地道にやってきた結果、いつの間にやら高みにきていたわけだ。最初から広告料で食べて行こう、という思いがあったわけではない。(と理解しています)

その力があるので、YouTubeがうまくいかなくなっても、その道で食っていくことができるだろう。土台というものはそんなものだ。

また、好きなことをして生きていく自由を手に入れた立花さんも、フリーになるために3年間も地道に準備を重ねている。決して投げやりな仕事をせず、一生懸命に仕事をしながらだ。そこで得た技能、人脈が今の生活に大きく役立っているそうだ。

ゼロに小さな一を足す

ところが、「 好きなことをして生きていく」という言葉はこの地道に一歩一歩あゆむというところをすっ飛ばしてだれでも始めればできるというところだけHIKAKINチルドレンという人たちに思わせてしまった。
学校の教師という立場からいうと、地道に働くことを疎い、一足飛びにお金を儲けて楽をしようという考え方の子どもたちが現れたということは実に憂慮すべき事態だ。

堀江貴文氏もその著書「 ゼロ」の中で、ゼロに小さな一歩を足し続けていくことがいかに大事かを繰り返し書いている。大事なのは小さな足し算の繰り返しなのだ。
それなのに、掛け算をして一気に高みに登ろうとする人がいる。ゼロに何をかけてもゼロなのに。

生業をしっかり持って好きなことをする

土台となる生業をやめてしまっては後ろ盾になるものが何もない。生業こそが土台となるゼロなのに。

私がよく見る「 まぐにい」さんは、マグロ屋で働くお兄さんとして動画をアップし続けている。

「まぐにぃのiPhoneちゃんねる」

朝の3時ごろからマグロの仕事をして、帰ってきてから好きな動画をつくるということをしているのだ。堅実だ。私はそこが好きで毎回見せていただいている。
土台をしっかり持っているから、家族の生活をきちんと保証しつつ好きなことができるのだ。そのうちフリーになられるかもしれないが、今はじっくりと地に足をつけて土台作りをしていらっしゃるといったところだ。

私には、自分の生活や家族を支える生業をしっかり持っていて、その上で好きな事をして生きて行くって言うのが「一般的な」人たちの正しい人生の歩み方であるように思われる。

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誰もが好きなことだけをして暮らしていては世の中は立ちいかない、ということもあるし、そんなことができるのは限られた人たちだけだ。

好きとはいえない仕事ではあるかもしれないが、それを生業としていっしょうけんめいに調整をしてくれたり、ものづくりをしてくれたり、メンテナンスをしてくれたり、そういった方々のおかげで、世の中は回っている。
好きなことだけをして生きていく人生、心屋さんや立花さんの言われる意味ではない方だが、それを送れる人が「 勝ち組」であるかのような考え方を子供たちが安易に持たないことを切に願っている。

生業で成功する

できたら生業の方で押しも押されぬ人になってもらいたい。技術を学び続けたり、人のために仕事を積み上げたりしながら、気づいたら「あの人は」と一目置かれる存在になってもらいたい。

工場長だとか、社長とか、専務とか、そのようなステータスという面での成功も大事だ。
立花さんはフリーになるまでは事業部長であったという。相当なステータスだ。それだけの能力のある人なのである。

こういうところまで行きつけば「 あの仕事で有名なあの人がやっているブログだ」とか、「 動画だ」とかその様な流れになりやすい。仕事と、好きなこととの正のスパイラルが生まれる。あえて自分かは出さなくても見えてくるものだと思う。

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仕事ではあまり目立たない人が、ブログ界では有名な人、とか動画界ではかなりの人、と言われるようになるよりは、成功への道筋は早いと思われる。
だから、生業で成功するということも考えて欲しい。

HIKAKINにしても最初はヒューマン ビートボックスのあの人があげている動画だからと言ってみんな見始めたのではないだろうか。

わたしが好きなことをして生きていくためには

私には、好きなことが山ほどある。
読書はもちろんのこと、ブログを書くこと、絵や挿絵を描くこと、音楽を作ったりバンドで演奏したりすること、ウォーキングやカフェ巡り。家族との会話。そして、ラクガキ。

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それらをする時間は至福のひと時だ。
でもそれだけをして生きていきたいとは思わない。

現在それなりに辛い状況にある。毎晩1時までかかって仕事をしてもまだ終わらないという状況が、すでに数ヶ月続いている。
しかし、この仕事を放り出して先ほどの好きなことだけして生きていきたいとはとても思わないのだ。

それは、辛くても私はこの仕事でまだまだ自分の能力を磨きたいからだ。
だから辛くても一生懸命にやっている。その積み重ねの末に、より授業がうまくなったり、より子どもの困り感の解消ができるようになったり、より子どもの思いを受け取れるようになったりなど、私は教師としての高みに行けるのだ。

好きなことは、1日の仕事が終わった後のほっとした時間でやる。そのことでただの好きなことをする時間ではなく、光り輝く時間になるのだ。だからいいのである。
このブログも寝る前に布団の中でもう、何日もかけて書いている。すぐに寝落ちしてしまうので。

だから私は退職まできちんとこの仕事を続けるつもりだ。

退職をした後は、好きなブログを書いて生きていきたいな、と思うこともある。しかし、それを生業にすることなんか到底できないという事は自分でもよくわかっている。
好きなブログを書いて生きていくためには、私はこれまで磨いてきた教職の能力を生かしたなんらかの仕事をさせていただくことが必要なのだ。

だから、私は年金をもらえるようになるまでは、生業をしっかり手綱として手放さず、好きなことを光らせていくつもりだ。

まとめ

「好きなことをして生きていく」という言葉には、大事なことが隠されている。つまり、生活を支える土台はきちんと持っておかなければならないということだ。

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見えるようにすると次のようになる。

好きなことをして生きていく(そのために生業を手綱としてしっかり離さず地道に働いていく。もしくはそのための準備を着々と生業をきちんとこなしながら行う)

それを放り出してしまったら、好きなことどころか、生きていくことすらできない。
地道に、地道に、嫌なこと、辛いことがあっても一つ一つ積み重ねていった先に、ようやく好きなことをして生きていくという、高みが見えてくるのだ。
中高生の諸君は、そこを間違えてはならない。

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最後まで読んでいただいてありがとうございます。
長文失礼しました。
お布団の中でちょこちょこ書いて、一週間以上かかりました。

教師は喋りすぎるものです。反省です。
もっと修行します。

コメント

  1. […] 好きなことをして生きていくという言葉について(教師の知的生活ネットワーク) […]

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