※2017年12月16日に公開したものを 2020年12月21日に修正更新しました。
メルマガの中で「実は前から演劇をやっていた関係で、某有名劇団の俳優さん方と会食」というようなことを書きました。
「あれこれやるなとは思っていたが、Lyustyleは演劇までやっていたのか(´・ω・`)」と呆れた方もおられたのではないでしょうか?
演劇。
演じて人の心を動かす。
教師というのは、舞台俳優や落語家のように、ある面子どもの前で演じる仕事です。
普段の自分のままでは授業できません。
普段の自分とは違う人間になって、普段とは違う表情、身振り、声などを使い、普段は使わない頭の働かせ方をして45分間を演じるのです。
私は、子どもの頃から、実は今でも引っ込み思案で、人見知りの激しい人間です。
人前で喋るなんてことは恥ずかしくてたまらないので、学生時代まではいつも人の後ろに隠れていました。
ところが一度子どもたちの前に立つと、教師としての自分が発動するのです。
あれほど引っ込み思案の私が、胸を張って晴れ晴れときた顔で子ども達に語りかけます。
子ども達全員を包み込むように腕を開き、教室にいる全員の子供からの目を受け止めます。
日常の自分にはとてもできることではありません。
「教師」という演じる場が与えられているがゆえに、思いっきり教師という役割を演じているのです。
そういうことを意識した私は、若い頃、演劇を研究するサークルの門をたたきました。
これは子どもの前に限ったことではありません。
仕事がら、講演のお声がかかったこともありますし、地域の公民館などでお話をさせていただいたこともあります。
引っ込み思案の私が、講師としての場を作っていただいたからこそできるのです。
私はいろんな場でまさに演じています。
違う自分になります。
演じる場があるからこそ、できることがある。
素の自分ばかりで生きていれば、それは人生上のリミットを自分にかけていることです。
場をいただいたら、そこで思い切り演じることで、普段の自分にはとてもできないことができる。そういうことなのではないでしょうか。
定年を迎えたら私は教壇を下ります。
また、元の引っ込み思案の人見知りの、人の後ろに隠れて小さくなる自分に戻ることと思います。
それで構いません。
また、何らかの形で場が与えられたら、私はまたそこで思い切りこの役割を演じます。
これが、私が長いこと演劇に関わってきて思うことです。
更新履歴
2017年12月16日 公開
2020年12月21日 更新