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カレイを重ねたおじさんでも老害にならないようにするための三つの方法

知的迷走日記保管庫

 私は,もうあと3年で退職だなんて、私が言わないととても気づかれないと思います。落ち着きないし。何かをすぐに初めてすぐに飽きるし。

 しかし,私はこのブログのイメージからはそうとうかけはなれた年寄りであることは紛れもない事実。

 職場ではおじさんの仲間です。

 若い人たちが年々増える中で、いつのまにか「年配」と言われるようになり、気がついたら「老害」といわれてもおかしくない域に達しています。

 一生懸命に自分では働いているつもりが、若い人からいえば自分たちの足を引っ張る老害だった、というようなことにはなりたくありません。

 退職まで、同僚の一人として、ともに学びながら教師の道を進んでいきたいと思っています。

 そこで、私自身が老害にならずにすむように気をつけて来たことを述べたいと思います。

1.専門家としての勉強と、職人としての授業技術を鍛え続ける。

 私たちには、教育の専門家という側面と、授業の職人という側面があります。

 どちらかではだめです。特に年が増えると、昔取った杵柄で勝負しようとしますが、教育の動向も、子どもたちのありかたもリアルタイムに変わっていきます。

この前うまく言ったことが今度うまくいくとはまったく限りませんし、今日の考え方が次にはもう古い考え方になっていることもあります。

 だから、教師である限り、私たちはずっと教育の専門家としての学びを続けないといけませんし、授業がへたにならないように新しい教育技術を取り入れて日々職人としての磨きをかけなければなりません。

 それは、教諭であっても管理職であっても同じです。

 授業の下手な教頭や校長はいくら教育の新しい動向に明るくてもだめでしょう。

 しかし日々更新し続けている教師ならば、年はとっていても常に若いのです。

 私はそうやってきました。

2.「私は」「僕は」ということをあまり言わず、人の話をよく聞く

 「私の若い頃はこんなだった」というようなことを、年取った人から言われたら、若い人は閉口しますよね。

 年の差はせばまらないのだから、年でものをいわれると勝負できません。うるさいだけです。

 また、「僕は」「私は」ばっかりいう人もいやですね。

 自分の自慢ばかりして、人の話を全然聞きません。いばっているようですし。

 だから、ここは若い頃から気をつけて来ました。

 若い人と話をするときには、ほぼ相手に話をさせてきました。

人は自分の話を聞いてもらいたいのです。

年上の人の話を有り難がって聞いてくれる人など、身近にはいないと思っていた方がいいと考えていました。

3.積極的に協力する

 最後に、可能な限りGive、Give,Give,Give でやってきました。

 保護者のところにいっしょにいってあげるとか、残って仕事をしている人を手伝ってあげるとか。

 特にたくさんGiveしていたのは「にこっ」という顔です。これは子どもにも心がけてします。顔があったらニコッとして見せてあげるのです。

 すみません。

 えらそうに書きましたが、私は大事なことだと思ってこれまでこの三つを続けて来ました。

 だからといって,私が「老害」になっていないという保証はまったくありません。

 若い人が自分たちが伸びようとしているのを邪魔することがないかどうか、そこはこれからも気をつけていきたいと思います。

 本当は「あんた、老害だ。困るんだよ」と言ってもらうのが一番いいですね。そういう間柄を築きたいものです。

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