「若い頃に書いた文章を書き直す仕事。これを毎日何十枚と続ける。」
文学博士,白川静先生の言葉です。
2010年8月13日という日付がメモにありました。今から7年前にこの言葉に出会い,Evernoteにメモしておいたのです。Evernoteを整理するタスクを実行していた時,「繰り返し参照するノート」という名前を付けたノートに保存しているものに再会しました。
さて,考えてみます。
なぜ,一度書いたものを書きなおす必要があるのでしょうか。
私には2度,若いころに書いた成果物を書きなおす仕事をした経験があります
そのことから考えてみます。
大学の卒業論文を書きなおす
ひとつは,大学の卒業論文をリライトしたことです。
1980年代の終わりごろ,私はPCを買ってもらい,当時バージョン3だった一太郎でさまざまな知的生産を行うようになっていました。
ワープロを使って文字を書くということ自体がまだ一般的ではなかった時代ですが,すでにワープロは知的生産のためのものすごいポテンシャルを秘めたものだということに気づいた人たちはどんどんワープロで知的生産を行い始めていたのです。
私もその一人でした。
教師の知的生産の3巨頭ともいえる学級通信と指導案,そして論文。これらをワープロを使って生産し始めました。
その延長に,卒業論文のリライトがありました。
西洋中世フランスの一農村から端を発した農民の反乱がなぜ大きく広がっていったのかということを,当時の伝承,伝説,童謡,なども駆使しつつ検証したもので,今でもよい仕事をしたと思っています。
それをもう一度書きなおそうと思ったのです。何のためでもありません。純粋に知的な興味からです。
当時,その論文を書いてからまだ10年と建っていない時期でしたが,大学時代の私が書いた論文を,教師として数年を生きてきた大人が書きなおすのです。
当時の自分の考えに驚いたり,逆につめの甘さに苦笑したりしながら,A4で70ページほどの論文を書きなおしました。
それで何が起こったかというと,何かにつながったかどうかそんな意識はありません。
ただ,存分に知的な時間を楽しんだということが残りました。
そしてそれでよかった。
そのような「なんのためになるかわからないが,知的に興奮する」活動をやったということがその後の私の生活の仕方によい影響を与えていると思えるからです。
25年前の自費出版本を書きなおして出版する
ふたつめは,25年前の記録や日記,レポート,通信,報告などをすべてまとめた自費出版本を,昨年KDPという形でリライトしたことです。
「25年前からのパソコン通信」の「はじめに」で書いていますが,当時の本は,あまりに多くの内容を詰め込みすぎていて,書きたいことがまとまっておらず,自分の中ではまだ完成していないままだったからです。
この自費出版本を元に,昨年と今年,2冊の本を出版しました。
このことで,ようやく25年前の本を書き終えることができたたという気がしています。
書きなおすにあたって,その章立てにかなり苦労しました。
一本通るとじひものようなものが見つからなかったのです。
あれこれ章を並べ,新しく書き足すということを繰り返した先に,ようやく当時の自分の記録を綴じ,価値づける一本のひもが見つかりました。
その一本は,「記録をとることは素晴らしい」という糸で綴じられ「25年前からのパソコン通信」という本になりました。
もう一本は,「人生に8つの色をつける」という糸で閉じられ「私のシドニー派遣教員日記」という本になりました。
これでもまだ,当時の本の分量の2分の1ほどを書きなおすことができただけですので,さらに綴じる糸をさがせばまだ本ができるかもしれません。
しかし,私はもう25年前の本をようやく書き終えたと思うことができました。
いったん当時の本からは卒業したいと思っています。
価値づける
これら二つの経験から得られることがあります。
それは,時代を超えて若いころの生産物を書きなおすということは,知の再編集であるということです。
新たに今の自分の知的カテゴリーの中に在るべき位置を与えるとともに,価値づける作業であったということです。
- 作品をさらにわかりやすい形にする
- 作品にさらに深まり,広がりをつける
- 自分自身の理解を深める。
- そして,作品の価値が自分の中にはっきりと刻まれる。
「書きなおす」ということにはこんな意味がありました。
白川静先生の言葉が少しわかってきました。
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