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役に立たない勉強が実生活を豊かにする~役に立つ,立たないで論じられるものじゃない

知的迷走日記保管庫

役に立つ、立たないで勉強の必要性を論じる人は、まるで原始時代の人間のようです。(あおってるみたいですみません。)

三角関数が何の役に立つ、とある著名な人がツイートして炎上していましたが、それに対して、多くの人が、あなたの快適な生活の裏にはいたるところで三角関数が使われているのだというコメントをしていました。

 

納得できる答えではありますが、その人がその答えで納得したかどうかはわかりません。

 

アレクシス・カレルが、「人間その未知なるもの」の中で、次のように述べています。

「みんな、人間の体や意識の入り組んだ成り立ちが明らかになってくるような発見よりも、人間の仕事を減らし、労働者の負担を軽くし、交通・通信を迅速にして、人生の辛さを和らげるような発明の方により興味を持った。」

 

何時ぞやの政権が、本庶佑氏や大隅良典氏がノーベル賞を取るに至ったような「何の役に立つかわからない基礎研究」のための予算を「一番にならなければならないんですか?二番ではいけないんですか?」という悲しいな言葉とともにバサバサと削りました。

「一番になること自体に何の意味があり、価値があるのか。

一番になっても何の役にも立たないのではないのか。」

そんな考えの人に、いくら基礎研究の必要性を説いても全く無駄でしたね。

そして、将来生み出されるはずのノーベル賞級の技術の芽はあっさりと摘まれてしまいました。

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※2021-2-21 以上の文は事実誤認である可能性があることがわかりましたので、削除します。

繰り返しテレビで流された「一番じゃないとダメですか?」のシーンは、「切り取り」であったようです。

詳しくはこちらのツイートを。

——————————以上、修正

 

大人になってからの生活に役に立たない、例えば「三角関数などの勉強は無駄だ」と斬って捨てる考えは、その時の政権の考え方のようであるし、それ以前の、まだ実際に役に立つことにしか探求の興味がなかった大昔の人たちに似ているな~と思います。

役に立つかたたないがわからないもの、というのは、地下に根を下ろし、どこかで大きな芽を出し大木に育つ。

大人になってからの、生活の充実のために間違いなく役立つんです。

 

昔の人が歩んだのと同じように、人間も若い頃は役に立つ勉強だけをしたがります

よくブログやTwitter「本を読んでいる」という若い人が公開している本棚は、ビジネス書や自己啓発書ばかりであることが少なくありません。

 

しかし、成長し、少し心に余裕が出てくると、人生や世界の根本原理を知りたくなり、リベラルアーツの必要性を感じ、改めて学びだします。

その時、とっかかりになるのが、高校生の時に暗記させられた祇園精舎の鐘の音であり、和歌、短歌の一編であったり、微分積分の公式であったりするのです。

 

私は高校生の時、数学で、まさしくその三角関数により落第の危機に瀕しました。

200点満点のテストで9点しか取れなかったのです。

その時の落第への恐怖は長いことトラウマになり、三角関数を祝いました,いや呪いましたw。

あんな役に立つかたたないかわからないようなもののせいで、長いこと数学というものへの苦手意識が消えなかったんです。

 

私がその三角関数、ひいては数学と和解したのは、大人になって、仕事で統計を扱うようになってからでう。

仕事上の必要性から学び直し始めたのですが、実に面白く感じました。

そこで、長年の敵であった三角関数の学び直しをしてみたのです。

実に楽しい時間でした。

 

仕事上の役には全く役に立ちません。

しかし、それがとっかかりとなって、わたしには数学に関する本を読む、という一生の楽しみが与えられたんです。

高校の時に覚えさせられた三角関数がそのとっかかりになったことは間違いありません。

 

役には立ちませんが、その時覚えたことがとっかかりになり、のちに目を出し大木に育つ。

当時のわたしは、のちに自分がフェルマーの最終定理を座右の書として何度も読み返すことになるとは思ってもみなかったんです。

 

勉強ってそんなもんです。

成長してから,根本原理を学びなおしたくなったときに,そのとっかかりとしてはたらいてくれるもんです。

役に立つ,立たないで論じられるものじゃないと思ってます。

 

更新履歴

2019年2月11日 公開

2020年6月6日 追記

2021年2月21日 一部削除

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