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古事記はルーツであり、ツールである

03-Kindle出版部

現在、私は「AI×古事記」という新刊の制作に取り組んでいます。

日々、生成AIを使いながら古事記の世界を現代社会の人々が持つ悩みの解決に役立てられないかと考えていく中で、次のような言葉が降りてきました。

それは、「古事記は私たちのルーツであると同時に、現代のカオスを整理し、前に進めるための強力なツールである」という視点です。

18年間このブログを書き続け、様々な知的生産ツールを試してきた私ですが、まさか1000年以上前に書かれたこの本が現在の私における有力なツールになるのだとは思っても見ませんでした。

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目次

思考の深奥に眠る「ルーツ」としての古事記

私にとって古事記は、過去の物語を知り、日本人としてのアイデンティティを確かめるためのリベラルアーツという位置にありました。

ところが、4月に書く本を決めようとAmazonでリサーチしていた時、「AI✕古事記」というテーマがおりてきたことから状況が変わり始めました。

こrへあ、単なる歴史の知識や教養のための本ではなくて、人間が物事をどう捉え、どう感じるかを規定している、言わば「精神のOS」のようなものなんじゃないかと思うようになってきました。

情報が濁流のように押し寄せ、何が正解か分からなくなる現代。

私たちはしばしばどれが正解かを見つけようとし、実は正解など無い中で疲弊し、自分を見失いそうになります。

そんな時、古事記という「ルーツ」に立ち返れば、天地開闢の混沌から始まって、神々が迷い、失敗し、それでも世界を形作っていくダイナミックな勢いが見えてきます。

腹が立ったから馬を投げ飛ばしたとか、

気持ちがもやもやしたから岩戸の中に隠れたとか、

死んだ妻がわすれられなくて、黄泉の国に会いに行き、とんでもないことになったとか・・・

古事記は、英雄譚ではなくて、数千年の時を経ても色褪せない、人間の営みの本質のようなお話しばかりですよね。

最新のAIを思考し続けて疲弊したときに、それとは全く異なる次元で、このような「知の土台」に立ち返ると、安心します。

古事記は、私にとってリベラルアーツから、安心感を得られるルーツとして語れるのだな、と思ってきました。

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混迷の時代を突破する「ツール」としての古事記

そのうえで、私が今回、本で伝えたいのは、古事記を単にルーツとして立ち返る場所にするだけではなく、現代を生き抜くための具体的な「武器」とし使うことの有効性です。

あらためてAIといっしょに古事記を読む中でそのようなことを感じるようになりました。

「AI×古事記」の本作りにおいて、各話のいたるところに、現代の混迷するビジネスマンたちに重ねられることがわかってきました。

上司からは出来もしないことを言われ、部下からは現状のままでいいと言われ、八方塞がりの混沌状態になってしまう中堅ビジネスマン。

まさに何度も失敗する中でなんとか国生みを果たしたイザナギ・イザナミの話が重なります。

 

「なぜ私ばかりが貧乏くじを引かされるのか」「こんなプロジェクト、いっそ全部壊してしまいたい」という激しい怒りと破壊衝動が渦巻いている、物わかりの良いプロジェクトリーダー。

スサノオのような破壊衝動と、そんな弟を持ったことから逃げてしまう天照大神。それをなんとかしようと会議を開き解決しようとした八百万の神々の話が重なってきます。

めちゃ、おもしろい!

こういった悩みを解決するための、古事記の神々達をAIに召喚し、「神話型OS」を自分にインストールすれば、それは、古事記がすごいツールになるということです。

AIという最先端の知性と、神話という最古の知恵を掛け合わせることで、今まで見えなかったカオスの状態の解法が立ち上がってきます。

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消費する教養から、生きるための武器へ

僕も含めて、多くの人は、古典や歴史をリベラルアーツとしてとらえ、教養を高めるために使います。

しかしそれだけではもったいない。

AIと掛け合わせることで混沌の中から解決法を見出すためのツールとして使うのもありなんじゃないか。

「古事記はルーツであり、ツールである」私はそう思いながら、現在第3章を執筆しています。

明日明後日で完成の予定。

4月10日には発売できる流れです。

完成したらお知らせします

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