ライフロガーとしては、人生のあらゆる出来事をログとして残しておきたいと思うところ。私もログをとる時は様々なアプリを駆使して徹底的にとろうとしてきた。
iライフログ、togglなどのライフログアプリ。
moveや僕の来た道などの自動的移動ロガーアプリ。
Flickrに送った写真や居場所、tweetなどを一つの日記にまとめてくれるmomento。
読書ログのpabooやmediamarker、体重や摂取カロリー、ランニングなどのログをとるためのRunkeeperなど。
これらの中でも、一日の時間をどう使ったのかということについての記録への執着が強い。
自分の1日はどのようであったのかを根こそぎ記録したい。そう思ってiライフログやtogglをよく使ってきた。
ところが他のログと比べて、このタイムログが一番長続きしないのだ。ある時一生懸命に細かくとってもしばらくするとやめてしまう。Evernoteに1日のログが保存されているだけで安心して、それを後から振り返ってみるというような時間をもたないからだ。
振り返る必要もなかったし、振り返ってもどうにもしようがない。団欒の時間が少ないということがわかってもそもそもできるだけ団欒の時間を持ちたいと思っているので振り返って初めて気づいて何とかしようと思うものではない。仕事の時間が長すぎる、ということがわかっても、だからどうすればいいのか。
振り返らなくてもあらかたのことはわかるし、振り返ってもどうにもならないことばかりだ。だから私のタイムログは、何をしたか、ということを記録しておく日記以上の意味を持ってこなかったのだ。
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ところが今回初めて振り返ってみようと思うにいたった。
それはチリツモ読書を意識的に積極的に始めたからだ。私はいったい一日にどれだけの時間をかき集めて読書をすることができたのか、それが知りたくなったのだ。
読書の時間だけログを取ればいい。そのようにログのカテゴリーを絞る、ということを先週 偶然始めたのだ。
すると、これが実に良い。Evernoteのログには読書のログだけが積み重なるので、それを足し算すれば一日の読書時間がわかる。ここで初めて私のタイムログは意味を持った。
カテゴリーを絞るだけで、そのログが振り返りのアイテムとして意味を持ってくる。
そのことがわかり、今、本当に必要なカテゴリーだけをとろうとジワリとひろげているところだ。
必要なカテゴリーとしては読書の他に、健康づくりにはどれだけ時間をかけたか、ということを知りたい。ストレッチ、ウォーキング、ランニングなどだ。また、勉強にかけた時間も知りたい、生涯に渡って続けて行くための土台づくりとしてのギターや絵の練習の時間も。
こうするとどんどん広がっていって、結局同じことじゃないかと思われるかもしれないが、二つの点で違う。
ひとつは、これらのカテゴリーが必要からきたものであること。知的生活への生活改善のために必要なカテゴリーとして積み上げた結果だということである。つまり後から見返してどのくらいの時間をかけたのかとても知りたいカテゴリーであるということだ。
もう一つは、それらのカテゴリーが、一日に少なくともこれだけの時間をかけたいという目標を持ったカテゴリーであることだ。そのため、ログをとることが継続のモチベーションにつながるということだ。読書カテゴリーに絞ってログとりを行った先週は、チリツモ読書へのモチベーションが随分高かった。読書のログをとったからこそ、読書の時間を少しでもかき集めて増やそうと思ったのだ。
カテゴリーのログを取るといことはこのようなことであるのだ。
知的生活へ向けての生活改善にとって、その実現のために必要なカテゴリーに絞ってログをとる、ということは有効なことであるようだ。
来週は、勉強というカテゴリーを加えるつもりだ。
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