たすくまでのログ取りは、大きな空間を積み木で埋めて充填していくようなものです。
時間という大きなすきまに,「ウォーキング」「食事」「ブログ」「新聞」などのタスクという積み木を埋めていく。それはとても達成感のある行為です。
放っておけば虚無で満たされる空間をタスクという積み木で満たしていくかのようなログ取り。
せっかくなら良いもので満たしていきたいという気になります。
ログを取るということの価値はそこにあるのだと今回痛感しました。
たすくまによるログ取りが健康を害して気力を失っていた私を元に戻してくれたからです。
ここ数日,私は,ようやく元の知的生活を求める人間にもどってこれたという気がしてほっとしています。
3月の半ばに健康を害し,仕事以外の気力をなくしていたこの一か月半、書斎での私の時間のほとんどは虚無で埋め尽くされていたといっていい状況でした。
体が辛いと本を読みたいという気持ちにもなれない。
何かを書いたり描いたりして、良いものを生み出そうという気力も失われている。
なんとかして元の気力を取り戻したいと思うけれども、体を休ませたいという気持ちの方が強く、ぼーっとしていることが多い。
きっとそれは私の充電期間であり心と体の健康にとって大事な時間だったのです。それはわかっていました。
でも、有限の時間、少しでも多く本を読み、ものを書き、絵を描きたいという気持ちから見ると、やはり焦りは続きます。
「今日こそは帰ってから本を読もう!」「文章を書こう!」と思っても、家に帰ればまず一休みという気持ちから逃れられず、その結果、ぼーっとしたまま夜の時間を過ごしてしまう。
そんな日が続き,私はもがいていました。
しかし、先週あたりからようやく元の自分を取り戻し始めます。その大きな力になったのがたすくまでした。
たすくまでログを取ろうとする気力がほんの少し戻ってきてからは、私の生活がぐんぐん元に戻っていくのを感じたのです。
ログを取っていると、時間を良いもの、つまり価値ある行動で満たしたいという意欲がむくむく湧いてくるのです。
これがわたしを元に戻してくれつつあります。
それまで,ぼーっとしていた時間が,食後の知的鍛錬読書の時間に置き換えられました。
ラクガキやイラストの時間に置き換えられ,いくつもかけました。(ApplePencilの力も大きいけど)。
書斎での「仕事上のではない」勉強時間にも置き換えられました。
健康の回復とともに気力も戻り始めてきたとき,たすくまでのログ取りが背中の最後のひと押しをしてくれたのでした。
今日は,朝から健康的で知的で楽しい時間で満たすことができました。
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