この本は、「知的トレーニング」と銘打ってあります。
最初、このトレーニングをやらないと、私は知的生活希求者といえないのかと慄然としました。
実際は「知的生活」のトレーニングではありません。
知的生活は「スタイル」ですので、トレーニングをして伸ばす何らかの技能とは違うからです。
ここでいう知的トレーニングとは、「知的生産のトレーニング」と言い直してもいいかと思います。
ただし、このトレーニングをめでたく修めた暁には、より密度の濃い、充実した「知的生活」ができる自分になっていることは間違いありません。
3年前にこの本に出合った時、世の中にこんな本が存在していたのかと驚きました。
やる気、気分管理からはじまり、交流術、蒐集術、分析術、読書術、執筆術、思考術、思想(術)など、およそ知的生産に関することは各段階にわたってほぼ網羅されています。
それも、1980年という時代に。
「完全独習版」と銘打って知的トレーニングを行い、知的生産の能力を高めようというこの本のスタートは、なんと、志を立てることから始まります。「立志術」とです。
最初は、大変な本を手にしたな、という印象でした。
それと同時に、「完全独習版」ですから、ここに書かれていることをちゃんとトレーニングすれば、私の知的生産力はぐんとのびる!と期待を込めて読みました。
しかし、読み進むにつれて、これは、トレーニングの本というよりは、花村氏の中にある壮大な知の大系の表出である、と思うようになりました。
トレーニングとの技法に名を借りた、花村氏自身の知的生産の方法、そしてそれぞれのカテゴリーにおける知の蓄積。
それぞれがばらばらではなく有機的につながりあって、「トレーニングの方法」という書名を借りて書かれているのだと。
だから、ひとつひとつのトレーニングの方法として挙げられていることには、とても一般人には困難なハイレベルことが挙げられています。
一つの例をあげます。この本を読むたびに感銘を受ける箇所があるのですが、
それは、
「全集をはじめの巻のはじめのページから、最後の日記・書簡に至るまで、「全部」読み通すこと、それが1人の作家、1人の思想家について知る、最も確実で、結局は唯一最短コースだと僕は言いたい。p164」
という箇所です。
全集通読。
これは、遠藤周作さんの言葉を思い出させます。
「一人の作家なら作家の作品を全集でまず読む。日記、書簡まですべて読む」
花村氏が、遠藤周作のこの言葉を意識していたのはほぼ間違い無いと思われますが、このような本の読み方ができるのは、一般の方ではそんなに多くないと思います。
特に、「日記、書簡まですべて」と言われたらもうどうにも実現できることとは思えません。
しかし、やってみたいものです。
特に、「いちど全集を通読した人は読書に必要なすべてのノウハウを身につけている」なんていうことを言われたら。
行うことは至難の技だけど、それでも魅力的だからやってみたい・・・
このようなことが、目白押しの本です。
しかし、これだけのことをご本人はなさってきたのだ、ということが、本文を読めば伝わってきます。だから、壮大な大系として、それぞれが有機的に意味を持ち合っているのです。
しかし、至難の業ばかりではありません。
できる、というより、むしろハードルを下げてもらってほっとしたこともあります。
それは、勉強の仕方について。
ライプニッツの勉強の仕方が紹介されています。
「よくわからない箇所はあまり気にかけずにあちこち拾い読みし、全く意味がわからないところは飛ばして読む。(略)とにかく本全体に目を通し、しばらく時間をおいてから同じ作業を最初から繰り返すと、以前よりはるかによく理解できるようになった。」
これを読んで、ほっとする人もいるんじゃないでしょうか。
多くの人は、行間までしっかり理解しないと先へ進めない、それが勉強だと思っているのではないかと思うからです。
でも、わからないところは飛ばして読んでいいとライプニッツはいっているのです。
また、本居宣長も、「うひやまぶみ」のなかで、
「片端から意味を理解しようとしないほうがいい、サラサラと一冊見たらまた別の本に移る。そうしていくども読み返す。そのうちに内容も方法もわかってくる」
と言っているとあります。
花村氏のあげるさまざまな知的トレーニングの中で、このライプニッツと本居宣長の勉強の方法の部分だけは私の勉強法を「それでいいんだよ」と価値づけてくれている気がして、「僕にもできてるんだなあ」と感慨深く思いました。(というより、そういう勉強のしかたしかできない・・・・)
この本自体が、「一度さらさらと読んでみて、再読するたびに理解できるようになる」という本です。分厚いし、科学、哲学、歴史さまざまな分野から引用されており、それ自体の意味がわからないところもたくさんあります。しかし、一度さらさらと呼んで、再読を繰り返す価値は十分にあります。
単なるトレーニング術が書いてあるだけの本ではなく、古今東西の知に出会う「ハブ」の役割も果たしている本だと思います。そういう読み方をしても、実に興味深いです。
ぜひ、その中のいくつかのトレーニングメニューに挑戦してみてください。
しかし、この本が、当時若干30前後の人が書いた本だとは・・・。
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