今朝、書棚から並行して読むための20冊の本を選び出し、所定の棚に並べました。

10年ほど前に、「本は10冊同時に読め!本を読まない人はサルである」という,なんだか怒られているような本を読んで,そんなに読めるもんかと思いながらも、1日のうちでそれぞれ時間と場所を決めて4冊ほどの並行読書をして来ました。

それが一気に20冊です。

一体何を考えているのでしょう。

いつもの知的迷走か、それとも単なる思いつきか。

多読は,目的ではなく手段である

いやいや、実は今audibleで聞いている(読んでいる?)「読書を仕事につなげる技術」に書いてある読書の仕方に共感したのでやってみようと思ったわけです。

 

それは、多読、それ自体を目的とするのではなく、多読を、生涯繰り返して読む至高の一冊に出会うための手段ととらえ、できるだけ多くの本に出会うために10冊以上の並行読書を行うという考え方です。出会うための読書ですから、読了することを目標とはしません。

 

僕は多読とか速読ということ自体にはそんなに積極的ではありせんが、それは何度も何度も繰り返して読む至高の一冊に出会うための手段だという考えには共感しました。

そんなら、たくさん読んでやろうと思いました。

 

それでは、なんで並行して・・・それも20冊もの本を?

一度は10冊でも同時に読めるはずないと思った私です。たくさん読むためには、速読術でも何でも使ってひたすら速度を上げてどんどん読んでいけばいいだけの話ではないのでしょうか。

 

しかしこれにも著者は目から鱗のことを考えておられるわけです。

それは、例えば4冊の本を平行読書のために用意しているとして、「さあ、時間ができたのでどれか読もう」と思ったとき、「今はその本を読む気分ではないな」と思ってやめてしまう確率が70%くらいになるのに対して、20冊だと10%くらいに抑えられるのだそうです。

 

「よし!今時間がある!読書!」と思った時、書棚に手を伸ばして、「やっぱりやめた・・・」と思う回数が、並行読書4冊では10回に7回もあるのに対して、並行読書20冊では10回に1回しかないというのです。

 

これが何を意味するのかというと本を読まずにダラダラしてしまう時間をいかに減らすかということに繋がるのです。

たくさんの本を読んで至高の一冊に出会うためには、できるだけダラダラ過ごす時間を減らすしかないからです。

 

筆者は100冊くらい並行で読まれているとのことで,私は思わず吹き出しそうでしたが(ひゃくさつ・・・・!!!)、その本を前に手にとったのは3年も前のことというようなこともあるということを聞いて納得しました。「同時」並行ではないということですね。

 

元々読了を目的しているわけではないので、しばらく読んで面白く感じないようなら、今の自分に縁がなかったと考えて、一旦書棚に戻すのだそうです。

そうした挙句に出会った至高の一冊は、生涯繰り返し繰り返し何度も読む本になります。

 

「面白そうだ、自分もそんな読み方をしてみよう」と思って、今回20冊セットを書棚から選定しました。

 

どれも途中までしか読んでない本です。

ストレッチをするときとか、

パソコンの起動時間(うちのは古くなって来ていて使えらようになるまで7分かかる。立派に読める時間)とか、

帰宅時の立読であるとか、そんな時にさっと読める本として選んだタスクフォースです。

ここから至高の一冊が生まれるのか、はたまた縁がなかったということで徐々にいつのまにか全部が入れ替わるのか。

自分の中で乞うご期待です。

本の紹介

25年前の海外生活,PC事情,メモや手帳のことなどについて書いてます。

「私のシドニー派遣教員日記」
現地の児童相手になんとか楽しい授業をしようとジタバタしたことが,今の自分をどのように作っているのか。




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