「脳はなぜ心をつくったのか」前野隆司〜Lyustyleの読書

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メルマガ「知的迷走通信」で配信した書評。

今回は,「脳はなぜ心をつくったのか」

 著者の前野隆司さんは,慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授です。

 私は脳科学者であるかと思っていたのですが,もともとCannonのエンジニアから慶応義塾大学の機械工学科の教員を経て,教授に。様々なシステムデザインの研究を行ている方です。

 この本は,システムデザインの見地から,「私」という意識のしくみを科学の立場で解明しようとした本です。

 子どものころから、人がそれぞれ自分の意識を持っていることを不思議に思ってき来られたことはありませんか?

そして,この,明確にものやことの質感を感じているこの「私」の意識が無に帰するなどとは考えもできないことだとは思われませんでしたか?

 今,確実に意識している「私」がなくなるなど,想像もできません。

 無となったとき,「私」はいったいどこへいってしまうのか・・・・

 そもそもこの「私」はいったいどこからきたのか・・。

 どう考えてもわからないから,魂という別のものを考えざるを得ません。肉体は朽ちても,この私の意識は魂として残る。

 そう考えないと,「私」が無になることなど全く腑に落ちないわけです。

 「肉体は朽ちても魂は残り続けるのだ」というわけですね。

 しかし人間はうまくできたもので,そのようないくら考えてもわからないことなど,日常の生活の中でいつしか忘れてしまっています。時に考えることはありますが,四六時中考え続けているなんてことはありません。

 のんきにしてたり

 仕事に追いまくられていたり,

 恋人と一緒に楽しく食事をしていたり

 映画に夢中になったり。

 そんな時には,私は都合よく「私」のことなど忘れてしまうことができます。

 そして気づかないうちに、私は自動的に動いています。まるで何かからオートパイロットされているようです。

 その時には、何が私を動かしているのでしょうか。その時には、私はいないのでしょうか。

 そもそも一体、この「私」とは何なのでしょうか。

 僕は,青年期のある時期から妙なことを考えるようになりました。

 それは,今自分が見ている世界は錯覚じゃないのかということです。

 私は私の五感で世界の様々な物事をリアルに感じていますが,それは私の感覚がそのように見させたり考えさせたりしているだけで,一歩私から外に出た本当に本物の世界というのは,まったく別の様相をしているのかもしれない。

 私がみているこの世界は,私の肉体にある感覚器が脳にそのようにみせているだけではないのか。

 錯覚。

 このきれいな空も,木々も,山々も,美しい恋人の顔も,かわいらしい子どもたちも,すべては錯覚かもしれない。

 そのように思うようになりました。

 そう。この「脳はなぜ心を作ったのか」を通して,著者の前野氏は「そうだよ。錯覚だよ。」といっているのです。

 それどころか,「あんたが『私』と意識している「私」も脳細胞が見せている錯覚にすぎないんだよ。」と私に言っているのです。

 いったいどういうことなのでしょうか。

 前野氏は,「受動意識仮説」という考え方を持っています。

 それは,意識は「受動」である。すなわち,私が意識して何かを行動したり感じたりしているのではない。脳が私に「私が意識して行動しているのだ」と錯覚させ,その実,脳がニューラルネットワークにより自動運転をしているのだ,というのです。

 このことについて、興味深い実験が掲載されています。

 それは,何らかの行動をするときの「やろう」という意識と実際の行動とにはタイミングのずれがあるというのです。

 それはそうだろう。まず「やろう」と意識して,次に行動するのですから,タイミングにずれがあって当たり前です。

 いやいや,そうじゃないのです。

 実は,行動のほうが先で,意識のほうが後なのです。

 つまり,「目の前に鉛筆がある。持とう。」と思って手を伸ばすのではなく,手を伸ばし始めてから少し遅れて「持とう」という意識がやってくるのです。実験データではそのようになっているというのです。

 つまり,脳のニューラルネットワークは,目の前の状況を目や鼻や耳や肌やさまざまな感覚器で感じ取り,状況を判断して,行動を生み出す。

そしてあたかもその行動を意識したのが私であるかのように,私に錯覚をさせている。

 受動意識仮説とはそのようなものです。

 実際には,脳のニューラルネットワークにより,肉体はオートパイロットされていて,そのオートパイロットがうまく動作するように状況や対象,経験を記憶し,次にいかすために「意識」を生みだしただけだというわけです。

 私たちは,「私」が歩こう,走ろうと意識し,決めて歩いたり走ったりするのではなく,状況を判断したさまざまな脳細胞どうしがつながりあって状況を瞬時に判断し,体を動かして歩いたり走ったりする。

オートパイロットです。

少し遅れて私の意識がやってくる。そしてあたかも「私」という意識が自分を動かしているのだと錯覚する。

 いかがですか?
 むなしくなりましたか?

 「私」などどこにもいないのです。

単にニューラルネットワークから「私」がいるかのように錯覚させられているだけ。

 ただそれだけです。

ちっぽけなちっぽけなものなのです。

 地下鉄の駅で乗り降りする大量の人たち。地下街を行き来するおびただしい人たち。映画館に大勢集まって映画を見る人たち。

 そこにあるのは,ただの物体。

 それがオートパイロットで制御されて,あたかも「私」が物語に感動して涙を流してみたりなんかしてるだけ。

 なかなかうけいれがたいでしょう。

 でも,この仮説に基づくと,霊とか哲学などを持ち出さなくてもいいわけですね。
 いろいろなことが分かった気がしますよ。

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