Tal.さんがアウトライナーフリーク的タスク管理論である「アウトラインプロセッシングLIFE」を著されました。
メルマガ「知的迷走通信」に書いたように,アウトラインプロセッシングによるタスク管理は、「未来の自分物語を紡ぐこと」と受け止めました。
実に魅力的な考え方です。
さっそく、私も「アウトラインプロセッシングLIFE」をはじめました。
そのことから考えがいろいろと広がります。
アウトライナーフリークにとってのマインドマップとはどんなものか。
今日は,そのことを題材にして思考を楽しんでみました。
アウトライナーフリークは,手描きマインドマップでは少々窮屈な思いをする
アウトライナーフリークが行うアウトラインプロセッシングは、あるトピックを細分化するブレイクダウンだけではありません。
ある時には、階層を登って上位レベルでグループ化したり、場合によってはトピック自体が上位レベルに移動したりします。そうして、上位レベルのトピックが下位レベルのトピックに影響を受けて当初たてた仮の見出しがどんどん変わっていくこともあります。
そういうことを前提にした「仮のアウトライン」のプロセッシングなのです。
ところが、マインドマップでは、思考の方向がトップダウン的です。
センターイメージが固定されています。
いったん描かれたらこれが変わることはありません。変わる時は別のマップになる時です。
センターイメージから伸びる3,4本のメインブランチも、ほぼ固定です。そこからブレイクダウンして細かなシナプスを生んでいくことはあっても、細かな下位のトピックが変わったからと言って、上位のブランチが変わることはありません。
一度たてたブランチは不動のものです。(だからこそ、ミニ・マップを何枚か作って整理してから、満を持してフル・マインドマップをつくるのです)
下位トピックが上位トピックに移ったり、上位トピックが下位トピックになったり、グループ化されたり、まったく別のトピックに変わったりといったシェイクもできません。
この点でアウトライナーフリークがマインドマップを描こうとすると、少々窮屈な思いをすると思います。
マインドマップ・ソフトでやればOK
しかし、これを手描きでなくマインドマップソフトでやれば話は別です。
ブランチのつけかえが自由にできるというその一点で、アウトライナーフリークによるアウトラインプロセッシングが可能となります。
最初にたてた3,4本のメインブランチ自体の名称変更も可能です。
場合によっては、センターイメージ自体が変わるかもしれません。それもできます。
ブランチAの下にあったブランチB以下が、そのままブランチCのもとに移動してつけかえられたり、ブランチAと同等のレベルにレベルアップしたりすることも可能なのです。
つまり、アウトライナーフリークがマインドマップを扱うためには、手描きではなく、ソフトでやることでアウトラインプロセッシングとの親和性が生まれることになります。
トップダウンだからこそ イメージだからこそ
では、アウトライナーフリークにとって、手描きマッピングは価値がないのでしょうか。
そんなことはありません。
マインドマップは、トップダウンという縛りがあることによって、イメージや考えを広げていくことを容易にしているというよさがあります。
脳をそのままイメージに映し出す良さといってもいいでしょう。
とにかく広げていく、深めていく。
いきつくところまで広げ深めればいいのです。
脳が本来持っているイメージを出し尽くします。
その点ではかなり自由です。
これ以上、広げも深めもできない、というところまでいくと、紙いっぱいにびっしりとブランチや言葉、絵が満ち溢れることと思います。
そこから、矢印を描いたり、囲ったりしてグルーピングや関係付けをして考えをまとめていきます。
それなら、最初からアウトライナーを使ってもいいじゃないかという考えもあります。
しかし、矢印でつないだり、輪で囲ったり、言葉にならない「なにか」やニュアンスをイラストや模様で描いたりといったことが、手描きのマインドマップでは可能です。
アウトライナーは言葉にならないものは書けませんが、マインドマップはノンバーバルなものまで含めて、広げ深められるのです。
まさに、そのことが脳の持っている能力を開放することだと言ってもいいでしょう。
何らかの生産を行いたければ、それをもとにアウトラインをつくればいいのです。
アウトライナー以外の要素が加わり、新たな価値が生まれるかもしれません。
まとめ
以上、アウトライナーフリークにとってのマインドマップについて考えてみました。
- マインドマップソフトを使うと、アウトラインプロセッシングとの親和性がでやすい
- 手描きマップは、ニュアンスや雰囲気など言葉になりにくいものまでふくめてイメージ化できるため、手描きで描いてからそれをアウトライナーに移すことで、新たな価値を生み出すことができる可能性がある。
こういうことを考えるのは楽しいものです。
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