現在執筆中の本は、「私のシドニー派遣教員日記〜人生に少しの色をつける」という題名になりそうです。
25年も前のことを今になって書く意義は、当時の経験が今どのように生きているのか、ということを書くことにあります。
25年間の私の生活の中に色濃く反映していたり、私に変化が起こっていたりする源泉を探ってみたら25年前にあったということであったりすから、価値があるのです。
なとどと考えながらやっているので、なかなか綴じ紐が通らないのですね、
この手の回想本的な内容のものは、あまりこね回さない方がいいのかもしれません。
とはいっても、すでに80%はできていて、現在肉付け中。
そして、ここからが時間がかかるのです。
残り20%で総執筆時間の80%を使ってしまいそうです。まさにパレートの法則。
結構きつい。
あとは文をひたすら書くだけのようでいて、様々な想いが去来します。
章立てがよくないのでは?とか、この章は、冗長ではないか、とか、そもそもこの章いらなくね?など、構成上の悩みが次々と湧いてくるのです。
何か参考になるかなと思ってアンリミ対象のある手帳術の本をダウンロードして読んでみました。
すると、これがまた、私の今書いている本の分量の半分しかありません。
私のは、今度のもまた前作のように、Kindleの本の分量、あのページの下に出る数字、何が単位なのかわかりませんが、それで見ると2000を超えます。
ところが、この本は1000もないのです。
一つ一つの章の文も少ないです。
「これくらいでいいんだ。」と思いました。
私はあまりにやりすぎているのかもしれません。
確かに、前作は、「かなりのボリューム、読み応えがある」と評していただきました。
逆に言えば、よほど興味のある人でないと、最後まで読んでもらえないのかもしれません。
もう少し削るか・・・先週、まるまる一章分を削除したばかりだけど・・・と思ったりなんかしているうちに、疲れてきました。
そこで気分直しに、以前書いておいたリラックスノートのすすめの本をworkflowyからScrivenerに移して見ました。
すると、これがまた、分量も構成もなかなかいいのです。
3時間ほどの待ち時間に勢いでだーっと書いた草稿です。
それが、けっこう良さげなのです。
何だか、こっちの方を先に出したくなりました。
でも、そういうわけにもいきません。
やはり、ちゃんと今書いているものをかき上げて完成させてからでないと先に進めませんね。
さて、もう少し苦しむことになりそうです。
コメント