西日本新聞に連載されている、チューリップの財津和夫さんのエッセイを楽しく読んでいる。
12月2日の分にこの言葉があった。
[st-kaiwa1]できる者は実行する。
できない者が教える。
バーナード・ショー
うわあ。なかなか辛辣だなあ。
私達教師は教えるのが仕事だけど,「できない者」なのかなあ。
いやいや,教えることを生業としている者であるから,できようができまいが,教える。
これは,そういう生業の話なのではなく,心根の話なのだ。
できる能力を持っているのなら,自分でさっさとやればいい。
自分でできない者が,自分はできないくせに訳知り顔にあれこれ指図する。
そういう絵を好ましくないと思っての言葉なんだろう。
しかし,このことは特別のことじゃない。
「教える」という立場にあるものは,そのような陥穽に陥りやすいんだ。
自分はやりもしないで,できもしないで,「これはこうすべきである」などと言い始めるのだ。
「正しく教え,導かねばならない」という理由のもとに,自分のことは棚に上げて,それでよしとしてしまう。
そして,バーナード・ショウの言葉通りになってしまう。
すべての「教える」という立場にあるものは,心しておかないといけないんだろう。
僕は,「教えるもの」である前に「学ぶもの」でありたい。
一生「また何か始めた」で生き通したい。
[st-kaiwa2]また何か始めた!
コメント