読書は、著者が伝えたいことをくみとるだけの行為ではありません。
本と向き合い、ツッコミを入れながら、自分なりの読み方でアイデアを作り出すという読み方もあります。
徒然草はブログである
例えば、「徒然草」は鎌倉末期の有名な随筆ですが、これをありがたかって読むのではなく、「鎌倉時代のブログ」として読む。
吉田兼好という人は、今の時代に生きてたら、絶対ドメインとって、WordPress立ち上げてブログ始めていると思うんです。
「あるところに『かいこう』という貝があって、土地の人は『へなたり』と呼んでいるそうだ。(おしまい)」
みたいな、「だから何なの?」とか、「何が言いたいの?」とか、「単なるぼうびろく?」のような段がたくさんあるんです。
また、
「大した人間でもないのに、ことさら偉い人の友達みたいな顔して親しげに話している姿なんでやだよね。」
みたいな、「あるある!」のような段もあります。
こういうの読んだとき、私は不遜にも、徒然草は、鎌倉時代のブログだ、吉田兼好はブロガーだという読み方を見いだしたわけですね。
このことは、面白く動画にしてますので、ぜひご覧ください。
私が徒然草ブログだという理由がさらにお分かりいただけるかと思います。
カラマーゾフの兄弟はライフハック本である
また、ドストエフスキーの、カラマーゾフの兄弟」を「ロシアのライフハック小説」だと位置付けたこともあります。
WorkFlowyに次のようなメモを残していました。
ゾシマ長老が貴婦人の悩みを答えているところなどは、宗教上の悩みを超えて、もはや人生の生き方のことについて述べている。
「自分の偽りを観察して、1時間ごと、いや1分こ度にそれを吟味なさるのじゃ」というセリフを見た時、そう思った。
具体的な、自分を見つめるための方法が書かれているではないか。
僕は,お話の筋をおいながら,こんなことを考えていたのでした。
でも,ここに書いたメモはあながち突飛なことではありません。
ドストエフスキーだとか,カラマーゾフの兄弟とかいうと,山のように立ちはだかる強大な古典で,とてもたちうちできないと思いそうですが,
実際には連載小説です。
当時の人たちが楽しみに読んでいた物語なんですね。
それが時を経て,中に含まれた以下のようなテーマがだんだん価値を高めて「すごい物語!」になっていったわけです。
信仰や死、国家と教会、貧困、児童虐待、父子・兄弟・異性関係などさまざまなテーマを含んでおり、「思想小説」「宗教小説」「推理小説」「裁判小説」「家庭小説」「恋愛小説」としても読むことができる。
Wikipedia
ならば,「思想小説」「宗教小説」など上に上げられたこの物語の価値に「ライフハック小説」という側面をつくってもよさそうなものです。
機会があれば,カラマーゾフの兄弟を「ライフハック本」として読んでみては?
脳を鍛える
以上のように、著者の意図とは全く別次元で、その本の意味、価値を捉えてみると、その本を自分なりに理解することができます。
カラマーゾフとライフハック。
徒然草とブログ。
そのような掛け合わせは、私にしか起こり得ないものです。
そういうものをいくつも持っておくと、人との対話の中で語る材料にもなります。
その対話の中から、また新しいものが生まれるかもしれません。
こうして、自分の脳を鍛えることで、自由自在に掛け合わせによるアイデアを生み出すことができるようになるでしょう。
更新履歴
2018年4月7日公開
2020年6月3日付加修正
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