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Lyustyle’s Cafe 日刊よもやま話32 98noteの頃

 

–  1990年頃、ユーテクプラザというのが今の、天神のLOFTのところにあって、そこの何階だかにOAシステムプラザという家電量販店のはしりのような店があり、パソコンなどはそこで買っていた。

–  そこの店長は先輩の先生から紹介してもらった人で、当時まだ高い家電は人を仲介してできるだけ安く買う、という時代だったと思う。パソコンなどは特別なものだったので、そういうものは良く知っている人から様々な事を習いながら買うのだ。買ったあとの個人的なアフターケア まで期待しての買いものだった。

– 「一太郎も買うから大戦略をおまけにつけてよ、」などということが通用する時代だった。

–  そうやって紹介してもらった人だからその後長い付き合いが続いた。

–  日本人学校に行く前、この店で2400ボーというスピードのモデムとカプラを買い、プリンターのインクリボンや印刷用紙などを大量に買い込んで行ったものだった。

–  駐在先の国からも何度もお金を送り、10万円を超えるスキャナーやレーザープリンターなどを送ってもらったものだ。

–  当時のこの手の店は雑然としていて、家電用品が積み上げられており、あたかも倉庫かなにかのような、独特な雰囲気を醸し出していた。

–  普通の一般人は寄り付くのも怖いような場所、専門的な知識を身につけていなければどやしつけられて放りだされるんじゃないかと思いそうな感じだったが、そういうところに入っていくので人の紹介を求めていたのかもしれない。

–  倉庫のようなところなので中古品だとか、型落ちだとかも良くおいてあり、そういうものを狙って私は通っていた。

– 今でも書斎で使っている14インチのテレビもここで掘り出したものだ。PC98にもつなげられるモニター兼用テレビだった。これで仕事をしたりテレビをみたりしていた。

– 90年代のはじめ頃だ。

– 実はこれが現役で動いているので私のPC9801はまだ動くことができる。残念ながら中のデータを出力するすべがないので(3.5インチフロッピーのNEC版フォーマットのやつだから、今のDosVベースのPCについているフロッピードライブでは読むことができない。印刷しようにもプリンタもない。)一太郎などは退役状態だが、当時はやったゲーム、「遙かなるオーガスタ」とか、「大戦略」だとかはそのまま動くのでゲームに関してはなんと20年たっても現役だ。

–  というより、1990年の暮れに買った80メガのハードディスクドライブが20年以上もクラッシュせずに使えるということがもっとすごいかもしれない。

–  そういう時代、私は喉から手が出るほど欲しかったノート型パソコン98NOTEの型落ち品を見つけたのだった。

– 1992年の年明け頃。11万くらいだった。

–  当時実売価格20数万円もしていたnoteパソコン。とても3年ほどの間に41万円のパソコンと28万円のワープロproduceを買ってもらった人間が口に出せるはずがない。

–  しかし、今、目の前に型落ちであるがあのnoteパソコンが10万の値でおいてある。

–  すぐに家内に電話して頼み込み、許しを得て買って帰った。

–  涙が出るほどうれしかった。ようやくあこがれの本当のモバイル生活が手にはいるのだ。

–  文を外で打つだけならば、私には当時最強のモバイル執筆環境であるSONYのPRODUCEがあった。これはMobileで使うことを第一要件として作られたのでプリンタを取り外すことが出来たのだ。ストラップかついていたのでバックのように肩からかけることが出来た。電源をいれたら即書けるし、軽いので便利なことこの上ない。

–  どこにでも持って行き、すぐに書き始められる。実際、これでどれだけ生産活動を行ったことか。当時まだあまり見られなかったことだが、講演会場に持ち込みその場で記録を録り、周りを驚かせていたものだった。

–  しかし、そうして打った文章を他に役立てる為には、パソコンで読める形にいちいちコンバートしなければならなかった。

–  はじめの方こそ喜んで2インチディスク(!)を専用ドライブに差し込み、パソコンにコンバートして保存し直し、それを一太郎で読み込んで資産化する、という作業をしていたものだったが、だんだんおっくうになっていった。

–  しかし、98noteならちがう。

–  もともとがパソコンだから。打った文章はそのまま3.5インチフロッピーに保存し、それをパソコンにさすだけで一太郎から読み込めるのだ。

–  当時の搭載メモリは貧弱この上なく、数100KBくらいしかなかった。1メガあったらエグゼクティブマシンクラス扱いでとても高かった。当時の私のメインマシン、98VX21でさえ、645KB程度だったのだ。

–  そう言う状態だから、少ないメモリでいかに効率的にやるかと言うことが課題の時代、メモリの貧弱さは当たり前で、それに困ると言うことはなかった。むしろ、何を残して何を削るかと言うことに様々な工夫をした。それが楽しかったのだ。

–  当時のnoteは、サブマシンで、執筆環境を外に持ち出せることが主要な目的だったから、中にいれるのはワープロソフトではなく、エデイタを選んでいた。軽快に文を打つことが大切だったからだ。

– なんだか、そんな時代、90年代のはじめ頃。

– 98NOTEの頃の話だ。

 

 

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