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AI生成の電子書籍をどうとらえる?作家と読者にとっての価値を考える

03-Kindle出版部

今でもはっきり覚えていますが、2023年2月に、ホリエモンが初めてAI生成による電子書籍を出しました。僕もすぐにダウンロードして読みました。

まだ。AIでブログの記事を書くということがさほど行われている時期ではなく、記事にAIを使って書くことはこっそりばれなように書くものであって公言しないというような時期だったと思います。

僕も「見えないブログ」ではAIを使って記事を書いていましたが、「本当にいいのかな?」と思いながら書いていました。

そんな時期にすでにホリエモンがAI全生成(表紙や帯も含めて!)の本を出したことに、当時大いに驚きました。

それから2年近く経ちます。2024年末の今はAIが書籍執筆に普通に使われるようになり、これまで以上に便利な方法で情報やアイデアを形にできる時代になりました。

 

しかし、AIを使って書かれた本に対して、「それは本当に本と言えるのか」「人が書くべきではないか」といった考え方は根強いと感じます。

特に、「本は作者の感情や個性が反映されるべきだ」と考える人たちにとっては、AIが関わることに抵抗を感じるのは自然なことだと思います。

 

僕も2024年の8月頃までは同じ考えでした。一ヶ月一冊、自分の手で生み出してきた自分にとっては、それらの本がAI生成の本に埋もれていくのを残念な気持ちでみていたのです。

しかし、ある時考えが変わりました。その時、2023年の夏頃、まだAI生成の稚拙な本が溢れているときのことを回想していました。内容がすかすかであったり、一目でAIだとわかるような独特の口調で読みにくかったりする中で、やはり人が書いた本はいいなと思って読んだ何冊もの本がありました。

しっかりリサーチされ、図解も豊富。内容も十分にありました。何より読みやすい。さすがに人が書いた本は違う、AI本はだめだ。そう思ってきたのです。

ところが、その時、それらの本がAIだったと知るきっかけがありました。あるセミナーを受けていて、執筆者自身から聞いたのです。

 

とてもショックを受けました。

私が人が書いた本だと信じて疑わず、1年以上も何度も読み返した本。それがAI生成だったとは・・

 

それからの私は、自分でもAI完全生成の本を書いてLyusytle以外の名義で2冊ほど書いてみました。

そして実際に読まれ、グローバル評価ももらいました。

このような経験をする中で、「AI生成本」への意識は完全にひっくり返りました。

 

AI生成本には価値がある。

このことについて今の考え方を述べておきたいと思います。

AIが書籍に携わることで、作家が仕事とを取られるのではなくむしろ創造性が高まるのではないか、読者にとっても新しい価値を提供できるのではないか、そんなことをつらつら話していこうかと思います。

本記事では、まず以前のボ奥のような、AI生成本に対する懸念や批判の考え方について理解します。

そのうえで、AIがどのように著者のパートナーとしてよいものを生み出すのかということについて書いていこうかと思います。

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AI生成本に対するネガティブな声とは

AIを使って書かれた本に対しての否定的な声というのは、近頃はそんなに聞いたことはありません。

昨年はよく聞きましたが、質も量もかなり向上してきた2024年のAI生成本については表立ったネガティブな反応はあまり知りません。

Xを掘ったらいろいろと出てくるのではないかと思いますが、わざわざそこまでしなくてもいいかなと思います。それは私のかつて感じていたネガティブな気持ちを書けばいいからです。

 

作者の感情や経験が込められてないとだめでしょ

僕は、執筆について、「本は作者の感情や経験が込められたものであるべきだ」といった思いが強かったと思います。

本の価値を作るのは、私達一人ひとりが持つ独自の感性や深い思考であって、それだからこそ本を書いて読んでもらう価値があるのだと思っていました。今でももちろんそう思います。

それよりも、もっと大きなネガティブな勘定がありました。

手抜きでしょ

それは、「AIを使うことは執筆の手抜きではないか」といった気持ちです。

執筆には多くの時間や労力が必要です。

テーマ選び、誰に向けて書くか、構成をどうするか、もっといい表現の仕方があるのではないか、誤字脱字や誤った表現はないか・・・

これらの一つ一つの工程に最新の注意と労力をはらいつつ、本というのは書かれていきます。

「それがたった10分ほどで完了するAI生成の原稿っていったい何なの?そんなのろくなもんじゃないのに決まってるでしょ!」

少なくそも私はそう感じていましたし、だからこそAIに原稿を書かせることは、著者が責任をもって書いていないように見えていたのだと思います。

 

その人ならではのオリジナリティがないじゃん!

さらに、「AIで生成された文章はオリジナリティがない」と感じていました。

AIは、すでに世の中にある膨大なデータを学習しています。そしてそれに基づいた文章を生成する仕組みです。

そうである以上、人間独自の視点や感情が欠けているのではないか、と疑問を持つのは当然です。

誰が書いても同じような内容になるはずですし、そんな教科書のような内容に本としての勝ちはあるのか、と思うわけです。

このようなネガティブな感情をAIに対してもっていたわけですが、まとめてみると「創造性」というもの大事にする価値観からだと思います。

これはとても大切なことです。

AIを作家の代わりにすると考える以上、創造性というものを大事にする価値観から見れば上に上げたようなネガティブな感情は消えないと思います。

 

しかし、AIを補助的なツールとして使うと考えればどうでしょうか。

AIとの「協働」です。僕は、AIと協働して本を作ってみました。すると、AI生成ということへのネガティブな感覚はなくなっていきました。

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AIは敵ではなく味方 ツールとしての価値

AIに対する懸念や否定的な声には、「AIが人間の仕事を奪うのではないか」という気持ちがあるのかもしれません。

しかし、実際にAIと協働して本をつくってみて、AIは執筆の過程で作家を置き換える存在ではなく、あくまで私達をアシストしてくれる役割であるということを感じました。

ペンタブレットやデザインソフトがアーティストを補助するのと変わりません。

思い返せば、30年以上前、ソフトでイラストを描く人が現れた時、「絵は紙やキャンバスに描くもの。デジタルで描いた絵など絵ではない」といった批判がありました。

しかし、今ではそのことについて何も言う人はいません。

AIと作家の関係も同じように思います。

AIは作家の作業を助けるためのものだと強く感じます。

 

AIは私のアイデアや下書きをもとに文章を整えたり、アイデアを膨らませたりする際に役立ちました。

執筆の初期段階で頭の中にある曖昧な構想を整理するのは、結構大変な作業ですが、そのあたりをAIは効率化してくれます。そして、文章の骨格を素早く作ることができます。

これで、作家は本来時間をかけるべき、より創造的な作業に時間を書けられます。

 

また、AIは文章の構造や流れを整えるのも得意だと思いました。

素人作家の僕にとっては、編集者もいないし、執筆のくせを指摘してくれる人はいません。しかし、AIが文章のつながりを整理し、スムーズに読めるよう手助けをしてくれます。

僕自身の力ではなかなか到達できない執筆スキルを手に入れて、読者が理解しやすい文章を書くことができるんです。

 

僕は、AIが生成した内容をそのまま使うのではなく、あくまで著者自身が調整し、経験や知識などを追記して自分の意図や個性を反映させることが大事だと思っています。

このプロセスを経ることで、AIを利用しながらもオリジナリティを保った作品が完成するからです。

効率化には、どうしても質の劣化という課題がついてまわります。

効率化しつつ質も高める。この夢のようなことがAIを使うとできる、個人の限界突破が可能になる。

総実感しました。

なにか新しいものが出ると、それ以前の世界に住んでいた人は反発します。

しかし新しい世界に飛び込んだ人が次の時代を作っていきます。

そしてこれは不可逆。

ネットの登場、スマートフォンの登場、SNSの登場以前以降の歴史を見るまでもなく、いつもそうです。

そして、AIを使った執筆は、人類にとってもはや後戻りできない、個人の限界突破のための「執筆革命」となるのではないでしょうか。

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AI生成本が新しい価値を生む~個人の限界突破

AIを使って本を書くということは、単なる効率化のためのツールとしてだけではなく、個人では到達できなかった新しい価値を生み出す可能性を秘めていると思います。

AIが提案してきた本の企画の内容や、目次構成には、「そんな視点は考えたことなかった」というような内容がよく含まれているからです。

そんな時、僕自身の経験や知識だけではそれらを考えつくことができなかったと思うのです。

「じゃ、あなたのつくった本とはいえないじゃん」と言われそうですが、よく考えてみると、商業出版の本でも作家は編集者と打ち合わせながらそのような経験をしているのではないでしょうか。

鬼滅の刃が生まれたエピソードを見てみると、当時の編集者との対話が大きな力になっていたように思います。だからといって、鬼滅の刃が吾峠呼世晴先生の作品とは言えないじゃん、とはなりません。

それと同じだと思います。

読者の視点に立ったとき、重要なのは「その本がどのように書かれたか」ではなく、「その内容が役に立つか、面白いか」という点ですよね。

AIが生成した部分が含まれていても、情報が的確で分かりやすければ、それは読者にとって価値のある作品になります。

例えば、膨大なデータを要約した専門書や、分かりにくいテーマをシンプルに解説する本などは、AIが特に得意とする分野です。

しかし、僕には到底できないことでもあります。

これを僕の手で補完し、読者に合った形に調整すれば、従来にはない高品質な本を提供できます。

 

また、AIが新しいジャンルを切り開くことも可能です。例えば、過去の膨大なデータを分析して見つけたトレンドをもとにしたマーケティング書や、複雑なテーマを視覚的に分かりやすく伝えるイラスト付きの書籍など、これまでの方法では想像しにくかったコンセプトの本が続々生まれています。

AIはデータの整理や分析が得意なので、人間の創造力と組み合わせることで、まったく新しい価値観やアプローチを読者に届けることができるんです。

こうして、AIが得意とする分野を活用することで、僕自身がなかなか手を出しにくいテーマに挑戦することもできます。

以前、Lyustyleとは別名義で量子力学の本を出版しました。

量子力学は大好きで、以前からよく本を読んだりYouTubeの解説動画を見たりします。

しかし、それを人に話して聞かせるような理解は到底できません。

でも僕はAIと力を合わせて本を書きました。

量子力学を解説する本ではなく、量子力学の内容を自分の人生に活かすという切り口の本です。

量子力学の解説はAIが得意とする分野です。

しかし、それを人生に活かすという切り口を考えて本をプロデュースしたのは僕の力です。

AIとの協働がなければ、量子力学を絡めた人生の本など到底書くことはできませんでした。

僕という個人の限界突破をすることができたたというわけです。

 

最終的な仕上げはあくまで私が行います。しかし、こうして書かれたAI生成による量子力学の原稿を読んで、僕は「お直しなし」と評価しました。僕自身の書き換えや追記を必要としないほどよくできていたからです。

「お直しなし」でそのまま出版という判断を下すのもまた私の仕事です。

こうして、新しい価値が世の中に生まれました。

どのように書かれたか」・・・私が「量子力学を人生に活かす」という切り口を提案し、量子力学に精通したAIとの協働で書いた。

その内容が役に立つか おもしろいか」・・・十分に面白く、役に立つと判断したため、お直しを必要としない判断をし、「AI生成」として堂々と出版した。

 

KDPで出版するときのインタビューに「この本はAI生成かどうか」という項目がありますが、ちゃんとチェックを入れてAI生成であることを示しています。

Amazonはこの本を他の量子力学本と同じたなにフラットにおいてくれています。

あとは読者がこの本をおもしろいかどうか判断してくれるのをまつだけです。

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AI生成へのネガティブな気持ちをアップデートする

2024年夏頃までの僕は、AI生成本に対してネガティブな印象を持っていました。

これは、AI生成に関する思い込みがありました。

まず、「AIを使うことは手抜きではないか」という思いです。

2023年夏頃に出てきたAI生成本はどれも内容がうすかったというのは上で書いたことですが、そのような本が多かったので、「さっさと手抜きで書いたんだろう」と思っていたのも仕方ありません。

そして実際に、プロンプト一発で手軽に書いた本だったんだろうと思います。

しかし、逆に今年の空間で人間が書いたと思い込んでいた本も昨年の同じ時期に読んでいたという事実があります。

そんな本もあったのです。

それは、AIは決して全自動で完璧な本を生成するものではなくて、AIが生成した文章をしっかり編集や修正をすれば、著者自身の意図や表現が加わって、立派な本になるということを示していました。

著者の手による編集を通して、AIを使った本にも著者の個性や感性が反映されるわけですね。

そのことに気づきました。

 

次に、「AIで書かれた本にはオリジナリティがない」という思い込みについてです。

確かに、AIは過去のデータをもとに文章を生成します。

だから、そのままでは独創性に欠ける部分があるのは間違いないと思います。

しかし、AIが生成した内容を基に新しいアイデアや表現を加えるのは著者の役割。

AIは発想を広げるための土台を与えてくれ、著者自身がその上に自分自身の視点を重ねることで、オリジナルな作品を生み出すことができるんです。

むしろ、AIを活用することで、より豊かな表現や深い洞察を引き出せる場合もあるのです。

これは、僕が「限界突破」と言っている部分ですね。

 

また、「AIが関わると人間味が失われるのではないか」という思いもありました。

僕達は、数々の近未来小説や映画、マンガなどの作品を見ていますので、AIやロボットが支配する世界の強さというものが刷り込まれているように思います。

そして、AI生成による本が登場した時、「いよいよそのディストピアにつながる時代がやってきたのか」と戦慄しました。

このままでは、人間味というものが創作物から失われてしまう時代がくる、と思ったのです。

この点については、これまで述べたように、AIが生成するのはあくまで素材、最終的にその文章をどう仕上げるかが人間に委ねられていることを理解したときに、氷解しました。

 

2024年秋、僕はAIを活用することは、決して創作への情熱や労力を軽視することにつながらないことを明確に理解しました。

それどころか、AIをうまく使いこなすことで、僕らはよりプロデュースや編集という創造的な部分にエネルギーを注ぎ、より質の高い作品を生み出すことができるんです。

2024年12月12日 追記中です

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