分類しないコンテキストファイルの記事を書いたとき、これは絶対に山根式袋ファイルとの折り合いについても書かなければならないなと思いました。
山根先袋ファイルについては、こちら
かたや、分類せずに放り込んでおくだけのファイル法であり、かたや五十音順で袋の分類するというデータベースであるからです。
私はそのどちらも長いこと実践しています。ですから、言ってること正反対じゃんと思われるのではないかと思ったのです。
そこで、正反対の2つを長いこと行なっている私の方法についてお話ししようと思います。
ベイサイドプレイスを歩いたジンバル・ウォーク#11でそのことを話したのですが、海風があまりに強くて声がかき消されてしまいました。
山根式袋ファイルも、入り口はコンテキストファイル
山根式袋ファイルによるデータベースを構築しているのは自宅です。
仕事場は、文書も資料も実に動的なので、私は1つ1つの文書やファイルを山根式で管理することはできません。
ですからまずは、月ごとのファイルを作って何でもかんでもそこに放り込み、時間軸で検索するコンテキストファイルの方法を取っているわけです。
ところが一年終わる頃にはコンテキストファイルに放り込んだ文書に差が出てきます。
なんども参照されるものと、一過性で年度末には破棄していい文書です。
この「なんども検索した文書」は、仕事場での位置を与えられたがっています。
すでになんども検索されて場所がわかっているこの文書は「何月に綴じたっけ?」と検索されることはありません。綴じてある場所目指してまっしぐらに取りに来られるわけです。
このような居場所ができた文書は、それなりの名前をつけたファイルに独立させます。
その行き先が袋ファイルです。
私の職員室の机の背後にある棚には、そうやって作った袋ファイルが並んでいるのです。
ただし、面倒臭いので、独立さないままコンテキストファイルに居場所を与えたままになっている文書の方が圧倒的に多いのですけれども。
「分類したこと」自体を忘れるんじゃなかった?
そうですそうです。
忘れます。
袋ファイル作ったことをと忘れるのはザラです。
いつものようにその文書を参照したくなって綴じた月のファイルをめぐりに行った時、そこにない!ということがよくあるのです。
ところが大丈夫。
その行き先ははっきりしてますよね?
袋ファイルです。
「そうだっけ」とくるりと振り向いて、たなの袋ファイルを見つけます。
大した数ではありませんのですぐに見つかります。
それ以後は忘れることはありませんが。
家でも同じ。食卓と書斎に袋ファイルが1つずつ。
データベースを構築しているのは家ですから、さぞ文書管理をしっかりしているのだと思われているかもしれませんが、Lyustyleですから当然のように細やかな整理などできません。紙の文書をなくしまくります。
「この前送ってきた、あの文書がどこかに行ったよう」と連れ合いに泣きついて呆れられることがなんどもありました。
「どうせなくす」と思って取っておいてくれたこともあります。
ですから、食卓には袋ファイルを1つ置いてます。
私宛に送られてきた手紙も、取っておきたいチラシも、なんでもその中に放り込みます。
「何年何月」がファイルの名前になっていますので、時間での検索によりすぐに見つかります。
ここから先、何が別の袋に独立するのかというのは、職場でのやり方と同じです。
そんな袋ファイルも今年で30年目になりました。
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