1991年のある日,論文を書くために,その発想を得ようと歩きだしました。
それから私は歩き始め,いつのまにか26年の月日が流れました。
最初の頃は,考えながら歩いていました。授業の準備でつまったら歩きに出ました。歩いているうちに授業のてだてを思いつく自信があったからです。
今でも鮮明に覚えていることがあります。
どうしてもよいてだてが思いつかなかったので歩きに出た時の事。水たまりがあったのでひょいと飛び越えました。
その瞬間,いったいどんな連想が頭をかけめぐったのかわからないのですが,どうしてもでてこなかった手だてがぱっと出てきました。
それ以来,迷ったら散歩というのが私の方法になっていきました。
1999年に,今に続く健康のためのウォーキングを始めました。
それでも,最初の数年はレポートや論文,今度の授業の全体の計画などを思い浮かべながら歩いていました。歩きながらレコーダーに保存しておき,終わってから喫茶店によりシグマリオンを取り出してその場で書き上げてしまったこともあります。
そのころのウォーキングは,やはりものを考えるためのウォーキングでした。
ところが,何かのアイデアを思いつき,それをメモするために立ち止まるのを躊躇することがちょこちょこ増えてきました。
心地よい歩行のリズムを断ち切りたくなくなっていたのです。
考えるよりも,歩くための心地よさを味わいたい。
そして,いつしか考えることよりも,頭からさまざまなぐちゃぐちゃになったものをすぱっと外に出してしまうことが目的になりました。
歩くときのリズムが,瞑想におけるマントラの役割を果たすに違いありません。
すーはーすーはーとえんえんと繰り返される一定のリズムは,脳にはたらきかけてデフラグを実行する。
歩いているうちに頭に様々な思いが去来し,そのうち,ぼーっとなっていく。
これがおよそ30分の頃です。
まさに瞑想です。
私は歩く瞑想をしているのです。
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