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毎日ブログを書くということについて【ブログの育て方】

知的迷走日記保管庫

年が明けてから毎日ブログを書いている。今日で7日だった。

毎年、ある時期に,ブログを毎日書き続ける日々が巡ってくる。

それは書きたいことが次々に湧いてくる時期であったり、

大したことがなくてもとにかく更新しようという動機であったり、

期限を決めて何が何でも書く、という約束であったり、その理由は様々だ。

しかし、今回はそのどれとも違うようだ。

MemoFlowyによって毎日大量にメモを生産しているので、それらを生かしたいという気持ち。

たすくまにより、習慣化したいことがうまくできているのでその成果と進捗状況を記録しておきたいという気持ち。

そして、それまでできなかった、やたらと忙しい時にもある程度の内容を持った記事が、MemoFlowyによってできるのではないかという希望。

それらが入りま 混じっているように感じる。

 

ただ書けばいいというのではない。

忙しかったら書かないというものでもない。

自分の中で、よし、これでいい、と思えるくらいの記事が、毎日淡々と書けそうだと思うのである。

 

たすくまもラクガキも、読書も、毎日やっている。新古今和歌集も、ほんの少しずつではあるが楽しく進めている。

それらの進捗状況を記録することは自分にとって価値があるし、面白がってくれる人もいるかもしれない。

そう思って7日が過ぎた。

明日からまた、忙しさの本番を迎えるが、その怒涛の波の中を小舟のように乗り切っていくことができるのかどうか、自分でも楽しみに感じる。

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今日の読書から

これは「何かを信じれば救われる」という宗教ではありません。「こう考えれば、悩み・苦しみを抜け出せる という、 シンプルな「思考法」 です。 ブッダの考え方 とは、悩み があるという〝 現実〟を見すえて その〝 原因〟 を理解して、解決への〝 方法〟を実践しようという 最先端の医学にも似た明快な処方箋なのです。

「反応しない練習」 草薙龍瞬

20数年前,職場で大変つらい思いをしていたときに,よく仏教書を読んだ。

なぜかといえば,「信じたら救われる」という本ではなく,「このように生きたら気持ちが楽になる」という人生の実践書であると深く思ったからだ。

信心深くなったわけではなく,いわゆる人生を生きやすくするためのライフハック書として仏教書をよんでいたのだ。

だって「方法」がしめしてあるから。

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一日一新

28 仕事の上で1つの気づきがあり、改善した

たすくま再挑戦

今の自分にとっては、まだ、ログを取るということ自体に価値があるということを再認識。

あわせて、今日は休憩を取ることができた。

残念ながら17時を過ぎてからだが、それでも、「私は今休憩している」という明確な意識がらできた時間が取れたことは大きい。

そうしないと、脳のエネルギーのリソースがどんどん潰されて、創造的な仕事ができなくなっていく。

だからこそ、昼に一度そんな休憩を取ることができたら嬉しい。

明日も奮闘努力して休憩を取る←何かおかしい

ラクガキ

hodue

モレスキンに筆を走らせていたら,頬杖をついた子どもになった。

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