たすくま再挑戦を初めて12日間がすぎた。たすくま発売と同時に購入し,使い始めた私はこれまで何度も挫折している。今回のように12日間も続けたことはこれまでなかった。その中で思うようになったことがある。それは,まず,何よりもログを正確に取れるようにならなければ,ということだ。
たすくま挫折のわけ
これまでの自分は,何度もたすくまの運用に失敗してきた。それはログを取ることの失敗からだった。たすくまはタスクリストでもライフログの記録アプリでもない。それ専用のよいアプリは他にたくさんあるのだ。それではたすくまで何のためにログをとっているのか。いつもその自分への問いかけでだんだんわからなくなり,その結果挫折を繰り返してきていたのだ。
今回のたすくま再挑戦では,まずレビューによる分析ができるようになりたいと思った。そうすればたすくまの効果がわかる。つまりレビューによる生活の改善だ。レビューをするためにはログを取ってためなければならない。だから,とにかくログをため,レビューによる分析ができるようになりたいと思いながら今回ひたすらログ取りをやってきた。
ログ取りの意味に気付いた
しかし,12日間ほどログをためて来てすこし考え方がかわってきた。
ずっとログを取っていると,気づいたらなにか別のことをしていたり,何をしていたのか自分の説明できないことを長時間やっていたりすることが多いことに気付いた。
たとえば,さきほど,Workflowy整理のタスクをやっている最中にセキュリティプログラムがiTunesの更新情報を知らせてきたので,いつのまにかそのダウンロードに脱線していた。
この脱線にすぐに気づいて方向修正をすることができたが,以前ならきっと気づかないままいつのまにかiTunesのインストールをした後,立ちあげてためしてみたり,新しいプレイリストを作り始めてみたり,そのために何か新しい曲はないかストアで探してみたり,昨日の紅白にでていたアーティストの曲をAppleMusicで見つけて満足したりなど,際限なく脱線がつづいていったのに違いない。
しかし,今回その脱線にいち早く気づくことができた。ログ取りを続けてきたからこそ,こういうことに早く気づくことができるようになってきたのではないかと思ったのだ。たすくまでのログ取りをするようになって,自分への気づきがかなりできるようになってきていることを感じている。
さらに言えば,この記事の原稿は,実は脱線によるものだ。先ほどの「Workflowyの整理」というタスクの実行中,iTunesへの脱線から無事に戻ってきた後,この気づきをメモしておこうと思って書き始めたものだ。
人間はこうやって気づかないうちにいつの間にかどんどん脱線していく。
しかし,書き始めてからすぐに「気づき」が発動した。「Workflowyの整理じゃなくなってるじゃん!ブログ書きに脱線しているよ!」。そこで,すぐにたすくまでの「Worlflowyの整理」をいったん止めて「ブログ書き」のログ取りに変更したのだ。
気づいた時点で「Workflowyの整理」に戻ってもよかったし,「ブログ書き」に変更したのもいい。どちらでもいい。私が「気づいた」ということが重要だ。そしてそれを正確にログを取ろうとした。これが「今の自分への気づき力」を高めていっているのだと思う。
たすくまを使う意義は,ここにあるのではないか。
ログ取りを正確に行うことによって,今の自分に気づき,今の自分に集中することができるようになるということではないだろうか。
徹底して正確なログ取りの鍛錬
そこで,私は,レビューができるようになるということを考える前に,まず徹底して正確なログ取りができるようになろう,と思った。100日間くらいはとにかくログ取りに励もうと思った。
これは,一種の鍛錬だ。繰り返すことで,私の「今の自分への気づき力」をさらに高めるための。
鍛錬であるならば,あとは疑わずにたんたんとそれを繰り返していくことが大事だ。そして,そのことで私は集中力を手に入れることができるようになっていくのだと期待している。
そのために私は次の3つのことをしよう。
鍛錬のために行う3つのこと
- 脱線に気付いた時点でもとのタスクにもどす。
- 脱線に気付いた時点で前のタスクをやめて新しいタスクのログを取り始める。
- 10日間づつけて振り返る。
これらのことを今日から始めたい。都合のよいことに,今日は1年のスタートではないか。
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