知的生産のイノベーションへの驚き
初めてワープロを使ってみたときの驚きを今でも忘れない。
1985年頃、小さなCRTモニターと本体が一体となった機体。
前面のふたをはずせばそれがキーボードになる。
上には取っ手がついており、持ち運びができる。
据え置き型の高級機種に比べて普及型のポーターブルワープロ。
それがこの頃はじめて手にしたワープロだった。
Podcastでも話をしています。
ようやくつき始めたフロッピーディスクドライブにより、単なる清書機ではなく膨大な知的生産物の保存が可能になった。
2Dタイプ(750キロバイトほど)のフロッピーにA4サイズの紙で70枚が印刷できる。
今考えればささやかなものだが、当時はこんな小さなディスクにそんなにもたくさんの文書が保存できるなんて考えてもみなかった。
そんなメディアは,マイクロフィルムくらいしかなかった。
マイクロフィルムは,新聞の紙面などをフィルムに収めたもので,拡大期を通して読む。
「そのもの」をただ小さくしただけ。
しかし,フロッピーは,電子的に保存するため,何がどうなっていてそこに文書が収められているのかなどと言う想像ができなった。
意識革命を乗り切った僕たち
1枚のペラペラでうすいプラスチックの円盤に文書70枚!
それはものすごい意識革命だった。
70枚といえば、自分が1年間に書く文書(当然手書き)の何年分になるだろうか。
そんな数年分に渡る知的生産物が、たった1枚のフロッピーにおさまってしまう,ということを,当時の私たちは初めて経験した。
出勤は、フロッピー1枚だけを持っていけばいい、というようなとんでもない時代になったのだ。
さらに驚きは続く。
一度打ち込みさえすれば、その文章はあとから呼び出して編集できるのだ。
ディスクに書きこまれた情報を、一度メモリに呼び出し、そこで編集してからまたディスクに戻す。
そのような考え方は当時にはなかった。
だから、多くの人が失敗したのは、モニターに映し出された情報が本物であり、それを編集することにより映し出される情報が変われば、それはもう「変わったものだ」と思い込んでしまったことだ。
だれもが、それを「保存」という処理をしなければ「本当に」変わった事にはならない、という概念を最初は理解できなかった。
しかし、一旦理解できればそれは知的生産の可能性をすごい勢いで広げることとなった。
なにしろ,あとから呼び出して短くしたり、文字を挿入したりすることが簡単にできるのだ。
これは本当に驚きだった。
はじめて私はワープロを文書編集機、知的生産専用機として捉えることができたのだった。
この意識革命ができたからこそ,今に至るまで,次々と起こったイノベーションの波に乗り続けてこられたのだと思っている。
なぜかというと,当時,
「ワープロなんてただの高い印刷機」
「フロッピーなんてよくわからん。あそこにためておいて何の役に立つのか」
そういう思いから抜け出せないで取り残されてしまった人たちもたくさんいたからだ。
後年その人たちもようやくワープロやパソコンというものでできることの「意味」がわかり,「おくればせながら」と手を出し始める。
しかし,世の中はすでにパソコンを経てパソコン通信によるネットワークの時代に入っており,そういう人たちは「ネットワークなんてむずかしくてわからん」と同じことを言う。
同じことを言い続ける周回遅れの人たちになって今に至る人はまわりにたくさんいるのだ。
早い時期に,その意味を理解できたからこそ,定年退職直前という今でも,ほぼ時代の最先端でいられる。
そのスタートが,このポータブルワープロだったのだ。
私がも意識革命を乗り切れた秘密はものぐさだったから
よくよく考えれば,なぜ私がこんな年までずっと先端の波に乗っていられることになる意識革命を乗り切ることができたのか。
不思議に思う。
そしてわかった。
それは私が「ものぐさ」だったからだ。
初めて学校のワープロを借りて帰った日の夜。
当時校内研究の一部長だった私は,その推進計画を頭を悩ませながら書いていた。
書いては消し,カッターで切っては別の個所に貼りなおし。
そんなことを延々と続けていたころだ。
ためしに,ある程度出来上がっていた計画書をワープロに入力してみた。
その時ひらめいたのだ。
「これ,寝転んでいてもできるんじゃ・・・?」
疲れていた私は,ワープロを床におろし,寝転んで続きを書き始めた。
文書はきちんと作成することができた。
その感動。
今でもはっきりと覚えている。
これが今に続く私の最先端の波に乗り続ける意識革命のスタートだった。
ものぐさだった私は、疲れたときに寝そべって仕事の続きができるということが本当にうれしかったのだ。
ここから,このワープロと言われる機械ができることの意味を理解するのに対して時間はかからなかった。
これらの知的生産のイノベーションを肌で感じることができた驚きと感動が、その後の20数年にわたる私の生き方を変えたことになる。
ものぐさだった私が,もっとものごとを簡単にできる方法はないかと探し始め,それがその後30年間続いている。
この文章も,音声認識アプリで,しゃべって書いたものだ。
追記
※2019年6月19日追記 この記事は固定ページとして書いた記事で, 22,098PVもありましたが,サイトの構造の整理のために,固定ページの方を削除し,投稿記事として書き直しました。
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更新履歴
公開:2012年2月28日
固定ページに異動:2013年頃
追記:2018年7月14日
固定ページから投稿ページに戻し,リライト:2019年6月19日
コメント
[…] 1980年代に初めてワープロに出会った人たちは何を感じていたのか […]