メルマガ「知的迷走通信」で毎週金曜日に連載している,「Lyustyleの読書」に投稿した記事からこちらに転載しています。
次回で30の書評記事を書いています。あまり人が読まないような本を選んでいますので,読書の幅が広がるお手伝いができるかもしれません。
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毎週金曜日は,私が今週読んだ本からお届けしています。
今日は,「なぜ,その子供は腕のない絵を描いたか」(藤原智美 祥伝社黄金文庫)を紹介します。
この本を買ったのは10年近く前になります。
私はこの本を,絵画指導と幼児の心理発達の関係について述べた本だと思って購入しました。
でも、絵画指導の本ではありませんでした。むしろ育児にかかわりそうな本でした。
当時の私は興味を失ってそのまま本棚に並べました。
それから10年。先日何気なく開いたその本は、人の成長に携わる人間は読んでおかなければならない本だったことがわかりました。
「腕のない子どもの絵」は,親子ともども縛り付けられて手も足も出なくなっている姿でした。
そしてそれは2000年どんどん増えていたのです。著者は,これは個々の子どもの心理発達や生活体験の問題ではなく,育児に何かが起こっている,と感じ,探究を始めます。
現代の若い夫婦のみなさんは、夫婦で育児を行うことが浸透してきていると思います。
しかし、育児を母親に任せる時代があったことも事実です。
昭和の時代には、育児は母親がするものだというのが常識と言っていいほど当たり前の状況でした。
私も、連れ合いが仕事を辞めて育児に専念できることになったのをいいことに、ほぼ連れ合いに任せっぱなしで、夜遅くまで学校で仕事をして夜中に帰ってくる毎日でした。
それでも,母親に育児を任せきりでも,「ある程度放任する方がいい」とう育児法が奨励されていたため,母親は自分の時間を今よりも持ちやすい時代でした。
1964年創刊の「赤ちゃん」という無料配布の冊子には,「母乳は誕生日の頃でぴったりやめましょう」とか「始めから一人で寝かせましょう。添い寝はお互い寝にくい」とか「やたらと抱いて抱き癖をつけると母親があとで苦労します」など,ある程度放置することが正しい育児として進められていたのです。
ところが,1985年を境にそれらががらりと変わり,添い寝も,おっぱいもスキンシップのために続ける方がよい,というように,スキンシップが「信仰になった」と著者はいいます。
そのことにより,母親は,子供への密着時間が増え、スキンシップに急かされる、親にとっての「圧迫育児」を持つことにつながります。
子育てへの楽しさについて調べたところ、働く親よりも、家にいる主婦の方が楽しいと思う率が低いという結果が示す通り、子供への密着育児が親を追い立てて追い詰める事態となります。
こうして自分も子供も縛り付けてしまった結果が腕のない子どもの絵につながったということを,著者はさまざまなデータから導いていきます。
腕のない子どもの絵は,親子ともどもに縛り付けられて手も足も出なくなった姿。そして,それは,単に「ある子どもの育児歴の例」というにとどまりません。それが増えているということは,たんに自分の子供の問題にとどまらず、それだけ圧迫されて身動きできなくなった子供たちが増えるということです。
ですから著者は人間全体の問題だととらえています。
現在、若い親たちは、父親と母親とでうまく育児を分担することが当たり前になってきているようです。
「今日は母親に自由な時間を過ごさせるために父親が子供を連れて公園に出かける」といった方の記事もよく目にするようになりました。
そのような家庭では育児によるストレスも起こりにくく、親を急き立てるスキンシップ至上教育は起こらないかもしれません。
結果、腕のない子供の絵は生まれにくくなるのかもしれません。
しかし,腕のない子どもの絵は人類が抱えている問題のシグナルの一つに過ぎません。
ご飯を食べるのさえ無気力。
ハサミがないからとじーっと突っ立っている子供に「ハサミがないから貸してっ言ってご覧」と促したら、「じゃめんどくさいからやめる」という。何でも面倒くさくやりたがらない。
お絵かきのパスを持ったまま眠ってしまう。
鬱屈をためて、切れてしまう。
腕のない子どもの絵の増かは,そういう様々な様相をも同時に含んでいるのです。
そしてそのようなすぐに「面倒くさい」という子,すぐに切れる子,そういう子どもは昔よりも増えているな,と教育現場にいながら,思います。
スキンシップは大事ですが,それに急き立てられて「圧迫育児」にならないように夫婦お互いが理解し合い,協力し合うことが必要のようです。
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