「自分自身のことを、コンテンツにする」
フランスの哲学者モンテーニュの話です。
彼は16世紀に『エセー(随想録)』を書き、「私自身が、私の本の素材である」と宣言しました。
これが西洋文学における「個人の発見」であり、エッセイというジャンルの革命だったと言われています。
でも、日本では、その500年も前からそういうことをやってきていますよね。
目次
日本人は1000年前からブロガーだった?
モンテーニュが『エセー』を書いたのは1580年頃。
しかし日本では、それよりはるか昔に、同じようなことをしていた人たちがいました。
そう、清少納言と吉田兼好です。
清少納言が『枕草子』を書いたのは西暦1000年頃。
吉田兼好が『徒然草』を書いたのは1330年頃。
モンテーニュより数百年も前、あるいは500年以上も前に、日本では当たり前のように「個人の感想」が書き残されていたのです。
「普通の人」の視点
モンテーニュの凄さは、王様でも英雄でもない「一人の人間」としての自分を書いたことにありました。
日本の彼らもまた、似たような立ち位置でした。
吉田兼好は、もともとは役人でしたが、出家して隠居した「普通のおじさん」として世の中を見ていました。
「最近の若者はけしからん」とか、「家の作り方はこうあるべきだ」とか、「友だちにするならこんな奴がいい」とか。
貝の蓋の形状について「へえ〜」と感心したことまで書き残しています。
清少納言に至っては、さらに衝撃的です。
1000年前の女性が、自分の感性だけで一冊の本を書き上げたのです。
当時のヨーロッパは男性中心社会で、女性が文学の主役になることはあっても、ライターとなることなどまずありません。
「春はあけぼのが最高よ!」
「説教する坊さんはイケメンに限るわ!」
「にくたらしいものリスト」
彼女の視点は徹底して主観的で、自由。
「自分自身を素材にする」という点において、清少納言は世界最先端のトップランナーだったと言えるでしょう。
ブログとSNSは現代の「枕草子」
西洋では16世紀にようやく「発見」された自己言及のスタイル。
日本では平安時代から、私たちはそれを自然に行ってきました。
心に浮かんだとりとめのない感想。
日々の愚痴。
ふとした発見。
それを「随筆」と呼んで大切にしてきたのです。
「筆の向くまま、気の向くまま」というスタイルですね。
現代は、世界中でブログやSNSが盛んです。
これらは、現代の『枕草子』であり、現代の『徒然草』なのかもしれません。
私たちは、1000年前から変わらず、「自分」を語るのが好きなんです。
それが日本人のDNAに刻まれているのかもしれません。
「10年ブログ」のすすめ
私がいつも言っている「10年ブログ」も、まさにこれです。
収益化やSEO、他人の評価を気にするのではなく、自分の書きたいことを書く。
モンテーニュは言いました。
「私が本を作るのではない。本が私を作るのだ」と。
好きなことを書き連ねているうちに、だんだん自分の「好き」が形になり、自分の考え方が育っていく。
書くことによって、自分が何者かが見えてくる。
なので、みなさん、10年ブログを書きましょう!
自分自身をコンテンツにしていくんです。

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