メンバーシップで「ポッドキャストチャレンジやろうよ」という話になったので、僕は自分のポッドキャストを振り返ってみたんですよね。
僕がPodcast始めたのが2020年の1月くらい。
もう5年経ったんですね。
間2年間はStand.fmの方に行っていたので、正味3年というところなんですけど、5年前からの放送がずっとそこに残っていました。
エピソード数を見たら、なんと293回。
もうすぐ300回かー、と思いました。
塵も積もれば山となる、とはよく言いますけど、最初は本当に何気なく始めたんですよね。
「やってみようかな」くらいの軽い気持ちで。
でもこうして数字として積み上がってくると、不思議な感慨がありますね。
過去のタイトルを見てみると、本当にいろいろです。
テレビで円盤の特集があったのが面白かったとか。
異世界でまだ現役でやっているビートルズの音源をこっそり持ってきた人の話とか。
アニメが面白いとか。
もう、「誰得?」というような話ばっかりなんですよねw
目次
モンテーニュとの出会い

こういうリストを見てみて、この自分の活動にぴったりくる言葉がないのかな、と思っていろいろ調べてみたんです。
そしたら、モンテーニュにたどり着きました。
モンテーニュは16世紀のフランスを生きた哲学者と言われているんですけど、『エセー(随想録)』という本の名前を聞いたことがある人もいるかもしれません。
Amazonで見たらずらっと本が並んでいて、すごい著作量なんですけど、その中で彼がこう言っているそうなんです。
「私自身が、私の書物の素材である」
これ、非常にぴったりくるんですよね。
なんで私たちは自分自身のことを話すのか。
自分の考えを世界に向けて発信するのか。
そういう意味を、モンテーニュのこの言葉と一緒に考えてみたいなと思いました。
ただの中年のおじさんの記録

モンテーニュという人は、今から400年以上前のフランスの人です。
元々はエリート貴族で、法務官やボルドー市の市長も務めた立派な社会人だったそうです。
ところが38歳の時に、突然仕事を辞めてしまうんですね。
自分のお城の塔に引きこもってしまったんです。
当時のフランスは宗教戦争の真っ只中で、世の中も混乱していて、彼は疲れ果ててしまったのかもしれません。
塔の中の書斎には1000冊くらいの本があったそうで、そこで静かに読書をして、残りの人生を過ごそうと思っていた。
でも、そこで問題が起きてしまったんです。
退屈、そして孤独です。
何もしないでいると、自分の心が暴走し始めたんだそうです。
これ、定年後にやることがなくなって社会と縁が切れてしまった時の気持ちに似ているのかもしれませんね。
不安とか妄想とか、とりとめのない考えが頭の中を駆け巡った。
彼はその「暴走する心」を書き留めようと思ったそうです。
これがエッセイの始まりでした。
400年前の本といったら、神学書とか英雄の物語とか、役に立つ科学の本とか、そういう立派なものばかりだったわけです。
ところがモンテーニュが書いたのは、英雄でも聖人でもない、ただの中年のおじさんの話です。
自分の好き嫌いとか、体の不調とか。
親指についてとか、においについてとか。
「私は大根が好きだ」「白ワインが好きだ」とか、そんなことまで書いているそうです。
日本の『徒然草』にも似たようなところがありますよね。
彼は本の冒頭でこう断っているそうです。
「これは私的な、家族や友人のための本だ」
「私の欠点も、ありのままの姿も包み隠さず書くつもりだ」
そして、あの言葉に続くわけです。
「だから読者よ、私自身がこの本の素材なのだ」
これ、当時はものすごい革命だったようですね。
「普通の人間の個人的な考え」が本のテーマになり得ると宣言したわけですから。
ポッドキャストは現代のエッセイ

彼はこうも言っています。
「最も偉大なことは、自分自身を自分のものとして知ることだ」
これ、含蓄がありますよね。
私たちはつい、自分以外の何者かになろうとしてしまいがちです。
もっと賢くなろうとか、もっと立派になろうとか。
誰かの役に立つようなことを言わなければならないとか、身構えてしまう。
このポッドキャストもそうでした。
最初の頃はデタラメなことを言っていたり、役に立つ情報を話さなきゃいけないんじゃないかと一生懸命になったりもしました。
でも、長く続けていくと、結局残るのは「自分」なんですよね。
Googleで検索すれば専門知識は何でも手に入ります。
でも、「私という人生のフィルター」を通したものは、私にしか書けない。
モンテーニュは人間を「変化し続ける頼りない存在」だと言っていましたが、その変化そのものを記録しようとしたようです。
これまでの290回の配信をしてきた私とも重なります。
「エッセイ」という言葉は、フランス語で「試み」という意味があるそうです。
話すこと、実験すること。
思考の試み。
モンテーニュは自分の文章を完成品だとは思っていなかったそうです。
あくまで思考の「試し書き」。
答えを知っているから書くのではなく、答えを探すために書く。
これ、ポッドキャストそのものですよね。
マイクに向かう時、最初から完璧な台本があるわけじゃないことがほとんどです。
話し始めると、「あ、自分はこう考えていたんだな」と気づくことがある。
話すことは、考えることの試みなんですよね。
書物が私を作った

モンテーニュの言葉でもう一つ、すごく共感するものがあります。
「私が書物を作った以上に、書物が私を作った」
モンテーニュは自分の本を何度も書き直したそうです。
新しい版が出るたびに、古い文章を消さずに新しい考えを書き足していった。
だからエッセイの中では、若い頃の彼と年老いた彼の意見が矛盾して同居しているんです。
でも、人間は変わるものだから、あえてそのままにした。
そうやって書き続けることで、彼は自分自身を理解していったわけですね。
私もやっぱりそうです。
ポッドキャストを始めた2020年の自分と、5年経った今の私は全然違います。
話し方も違うし、考え方も変わっています。
でも、その変化はポッドキャストやブログでずっと考えを出し続けてきたからこそ起きたんじゃないかな、と思うんですよね。
アウトプットすることで、考えが整理されていく。

「私自身が私の書物の素材である」
この言葉は、決して「自分大好き!」という言葉ではないことはわかりますよねw
私たちは何か発信する時、「ネタがない」と悩みます。
特別な体験が必要だと感じてしまう。
夏休みの絵日記で「どこにも行ってないから書けない」と悩む子供と同じですね。
でも、モンテーニュは自分の親指の話で一章を書いたわけです。
非常に些細なこと、ふと感じたこと。
それら全てが素材になる。
僕らの人生そのものが、最高に面白いコンテンツになるよと、モンテーニュに背中を押された気がしました。
293回の振り返りと、モンテーニュの言葉。
これからまた様々なメディアで発信を続けていくと思うんですけど、この言葉を大事にしたいなと思います。
ありのままの考え、借り物でない自分が感じたこと。
それをしっかりと語っていければなと思います。


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