「いらぬことを忘れるために日記はある」

外山滋比古氏の「知的生活習慣」に出てくる言葉です。

知的生活習慣 (ちくま新書)

 

忘れるために日記を書く。

いったいどういうことでしょうか。

 

私たちは、日記を書くときに、記録しておきたいと思って書くのではないでしょうか。

今日の出来事を記録することで、いつでも見返して思い出せるようにする、つまり、いつまでも今日の出来事を覚えておくために書くのではないでしょうか。

 

しかし、外山氏は全く逆のことを言われています。

忘れるために書くのだと・・。

 

外山氏は、日記を何十年も続けてきた方ですが、「(日記というものは)一般に考えられているほどありがたいものではない。~将来の歴史のために資料として矢君立つかもしれないとうぬぼれるのは思い上がりで滑稽である。」と言われています。

よほどの偉い人など、歴史に名を残すような人の日記は、それなりに価値がありますが、一般の人間の日記はそれほど人の役に立つものではないというのです。

私は、といえば、特に人様のお役に立とうと思って書いているわけではなく、跡から自分の役に立てようとして書いています。

下記の記事では、「過去の自分に出逢い、忘れていたことを思い出したり、アイデアの再発見をしたりするため」に書いているのだといっています。

 

私が24年間書き続けているデジタル日記を印刷して、本としても残しているわけ | 知的生活ネットワーク
そうして過去の自分に出会い、忘れていたことを思い出したり、アイデアの再発見をしたり …
そうして過去の自分に出会い、忘れていたことを思い出したり、アイデアの再発見をしたり

人様に読んでいただくつもりは毛頭なく、あくまで将来の自分のための貯金のようなものです。

書いたことは忘れやすい

過去に書いた日記を読んでいて、書いたことを全く忘れてしまっているような内容によく出会います。

日記に書いておいてよかったな、思い出せたから、と思う反面、日記に書いたからわすれたのかもしれない、とも思います。

日記に書かなかったら、もしかしたら忘れなかったかもしれません。

でも、必死に覚えておこうとするあまり、ずっと脳に負担をかけていたかもしれません。

日記に書いておいたからこそ、忘れることができたかもしれないのです。

 

すると、こういうことがいえるのではないか。

忘れるには書くことである

覚えておくほどのことでもないような雑多なことや、頭の中で整理できないモヤモヤ。

そういうものは本来睡眠中に、脳の中で整理され、いらないことは忘れられていきます。

これと同じことを、「日記を書く」ということによって雑多なことを忘れて脳内を整理するという働きが日記にあるのではないか。

つまり、雑多なことをどんどん書いていくことによって忘れることができ、脳のリソースを別のことに使えるようにできるかもしれません。

 

ここで冒頭にもどります。

「いらぬことを忘れるために日記はある」

なるほど!と思うわけです。

人間は、どんどん忘れていくことが必要です。忘れないで溜め込んでいくと、本当に大事なことを覚えるリソースが少なくなってしまいます。

だから「忘れ方」を身に着けるのは、今の人間の課題として大事なことです。

文字に書いてみると忘れやすいということを、「忘れ方」のひとつと考えることができます。

だから、雑多な事柄の忘れ方として日記を書くのだというわけです。

ここが外山滋比古氏の慧眼だと思いました。

長年日記を書き続けてきたからこそ言える言葉だと思います。

 

わたしのリラックスノートとのつながり

わたしは、もうずいぶん前から落書きをノートに書き続けています。そこにはスクリブルや、言葉の羅列、幾何学模様など雑多なものがどんどん書かれていきます。

こうして私はリラックスしてきました。

これはおそらく、書くことによって知らず知らずのうちに脳内整理をしていたのかもしれません。

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本の紹介

25年前の海外生活,PC事情,メモや手帳のことなどについて書いてます。

「私のシドニー派遣教員日記」
現地の児童相手になんとか楽しい授業をしようとジタバタしたことが,今の自分をどのように作っているのか。




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