やめないこと。
そんな一言を、メモに書いていました。
何かを夢見て始めても、数日で成果が見えなかったら、もうやめてしまう。そういうことって、ありますよね。
でも、地味に続けていると、見えないところで力がついてきます。
そしてある日、地面を突き破って吹き出す温泉のように、成果が出てくる。
そんなことを考えていたんです。
実は2000年以上前の中国に、同じことを馬で語った思想家がいました。
足の遅い、冴えない馬のことです。
その馬でも、千里の道を行けます。
条件は、たった一つだったというのです。
そして江戸時代の日本に、それを自分の足で見せた人がいます。
50歳で弟子入りし、55歳で歩き始めた人です。
歩いた道のりは、地球をひと回りするほどでした。
今回は、やめないこと、という一言から、二人の話をします。
一人は古代中国の思想家、荀子。
もう一人は、日本地図を作った伊能忠敬です。
シニアの教養ラジオという再生リストに、私が話した音声をAIで動画にして投稿しました。
新しいことを始めたときは、最初の数日はワクワクして、一生懸命やりますよね。
ところが一週間たっても、何も変わらない。
こんなことをしている意味があるのかなと思えてきて、やめてしまうんです。
誰にでも、覚えのある場面ではないでしょうか。
今回は、成果が見えない間に何が起きているのかを、二人の言葉と足跡を借りて考えてみます。

目次
冴えない馬でも、やめなければ千里を行く
まずは、荀子という人の紹介からです。
荀子は、紀元前3世紀ごろの中国の思想家です。
国同士が争った、戦国時代の終わりのころでした。
生まれは、趙という国です。
荀子の名は、『史記』に出てきます。
そこには、50歳になって初めて斉の国へ学びに来た、と書かれています。
斉には、稷下と呼ばれる、学者の集まる場所がありました。
荀子はそこで、いちばん年長の先生になります。
学者たちのまとめ役も、3度務めたと伝えられています。
ただ、この50歳は15歳の書き誤りだという説もあり、はっきりしたことは分かっていません。

荀子のもとからは、名の知られた弟子も出ました。
法による政治を説いた韓非、そして秦の始皇帝に仕えて宰相になった李斯です。
二人とも、のちの中国の歴史を大きく動かした人たちでした。
荀子は、人の生まれつきの性質は悪いと考えた人です。
性悪説といいます。
冷たい考えに聞こえる方もいるでしょう。
でも、荀子が言いたかったのは、その先です。
生まれつきは悪い。だから学んで、自分を作り変えていくのだ、ということです。
その考えをまとめた本が『荀子』で、最初に置かれた章を勧学といいます。
学問を勧める、という意味です。
勧学には、有名な一文があります。
青は藍より出でて、藍より青し。
聞いたことがある方も、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
青い染料は、藍という草から取ります。
でも、できた青は、もとの藍より青い。
学び続ければ、もとの自分を超えられるということです。
出藍の誉れという言葉は、ここから来ています。

今回の中心は、勧学のもう少し先にある一節です。
騏驥一躍、十歩なること能わず。
駑馬十駕、功は舎てざるに在り。
騏驥というのは、1日に千里を走る名馬です。
その名馬でも、ひと跳びで10歩の先へは行けません。
駑馬は、足の遅い、冴えない馬です。
十駕の駕というのは、馬が車を引いて進む1日の道のりのことです。
冴えない馬でも、10日引き続ければ名馬に追いつける。その手柄は、やめないことにある、というのです。

荀子は、続けてこう言います。
刻みかけてやめれば、朽ちた木さえ折れない。
刻み続けてやめなければ、金属や石にも彫り込める。
その少し前には、こんな言葉もあります。
土を積み上げれば、山になる。
山ができれば、そこから風や雨が起こる。
水を集めれば、深い淵になる。
淵ができれば、そこに竜が生まれる。
ひとつひとつは、ただの土や水です。
それが積もると、まったく別のものが生まれてくるんです。

そして、こう続きます。
半歩を進まなければ、千里には届かない。
小さな流れを集めなければ、大きな川や海にはならない。
この半歩のことを、蹞歩といいます。
片足を一歩前に出すだけの歩みです。
荀子は、その半歩から話を始めているのです。
伊能忠敬は50歳で学び、55歳から歩き続けた
荀子から、およそ2000年後の日本です。
荀子の言う駑馬十駕を、自分の足で見せた人がいました。
伊能忠敬です。
伊能忠敬は、1745年に生まれました。
今の千葉県、九十九里浜に近い村です。
若くして、利根川沿いの町、佐原の伊能家に婿として入ります。
伊能家は大きな商家で、忠敬はその家業を建て直したと言われています。
そして50歳のころに、隠居しました。
普通なら、ここからは余生です。
ところが忠敬は江戸へ出て、幕府の天文方、高橋至時に弟子入りしたんです。
このとき、忠敬は50歳。
先生の至時は、31歳でした。
19歳も年下の先生について、学び始めたわけです。
荀子も、『史記』によれば50歳で学びに出ました。
二人とも、50歳から始めた人なんです。

忠敬が知りたかったのは、地球の大きさでした。
緯度が1度変わると、南北に何里進むのか。
それが分かれば、地球の大きさが計算できます。
そのためには、南北に長い道のりを測らなければなりません。
そこで選ばれたのが、蝦夷地、今の北海道でした。
1800年、忠敬は江戸を出発します。
55歳でした。
測り方の中心は、歩くことです。
歩幅を約69センチにそろえ、歩いた数で距離を出しました。
いつも同じ歩幅で歩けるよう、訓練したと伝えられています。
2つの目印の間を何人かで歩き、みんなの歩数の平均をとって、ずれを小さくしたこともあったそうです。
歩くだけでなく、夜になると星を観測しました。
星の高さから、その土地の緯度を割り出すためです。
最初の測量では、途中の81か所で星を見たと伝えられています。
昼は歩き、夜は星を見る。その繰り返しでした。
この最初の測量は、180日かかりました。
往復で、およそ3200キロです。
寒くなる前に終えようと、1日40キロほど進んだといいます。
その結果から、忠敬は答えを出しました。
緯度1度は、28.2里。
今のキロに直すと、およそ110キロです。
これが、ほぼ正しい数字だったというのです。

ただ、初めのうちは、幕府が補助をするという程度の扱いでした。
事業としては、個人の測量から始まっています。
忠敬は、第2次、第3次、第4次と、東日本の海岸を歩きました。
そして1804年、忠敬は東日本の海岸の地図を幕府に差し出しました。
その出来栄えが認められ、忠敬は幕府の家臣に取り立てられて、西日本の測量を命じられました。
ここから測量は、幕府の事業になったのです。
4年の間、地道に歩き続けてきた。その力が、ここで一気に表に出たわけです。
同じ年、先生の高橋至時が41歳で亡くなります。
それでも忠敬は、歩くのをやめませんでした。
測量は1816年まで続きます。
全部で10回、71歳になる年までです。
歩いた道のりは、およそ4万キロ。
地球をひと回りするほどの長さでした。
忠敬は1818年に、73歳で亡くなります。
地図の完成は、見られませんでした。
その3年後の1821年、弟子たちが日本の全図を仕上げます。
大日本沿海輿地全図と言われています。

見えない間も、地面の下では湯が溜まっている
ここで、最初の一言に戻ります。
やめないこと、です。
メモには、温泉のたとえを書きました。
温泉の湯は、雨や雪が地面に染み込んだものだとされています。
それが長い時間をかけて、地下で温められます。
そしてある日、地表に湧き出てくるのです。
染み込んでいる間、地面の上からは何も見えません。
でも、湯は確かに溜まっていきます。

伊能忠敬の4年間も、そうでした。
1日40キロ歩いても、すぐに誰かが褒めてくれることはありません。
それでも、半歩ずつ、歩数は積み上がっていきました。
その積み重ねが、1804年に地図という形で吹き出たのです。
荀子の言葉で言えば、半歩と千里です。
半歩は、それだけ見れば、ほとんど進んでいません。
でも千里は、半歩を積み重ねてできています。
ほかに、近道はないんです。
刻み続ければ金属や石にも彫り込める、という荀子の言葉もありました。
一度刻んだだけでは、石の表面に傷もつきません。
でも、同じところを何度も何度も刻んでいくと、少しずつ溝ができていきます。
その溝は、ある日いきなりできるものとは違います。
1回ごとの小さな削り跡が、重なってできたものです。
見えないほど小さくても、削った分はちゃんと残っています。
ここで大事なのは、荀子が、速く走れとは言っていないことです。
荀子が選んだのは、名馬ではなく、冴えない馬、駑馬でした。
ひと跳びの勢いより、やめないことを取ったんです。
伊能忠敬も、ずっと休まず歩き続けたのとは違いました。
10回の測量の間には、旅に出ない時期もありました。
休むことはあっても、やめはしなかった。
そこが、大事なところなんですよね。
何かを始めて数日で成果が見えないのは、当たり前のことです。
湯がまだ、地面に染み込んでいる最中だからです。
そこでやめてしまうと、たまりかけていた湯も、そこで止まってしまいます。
ゆっくりでいい。休んでもいい。ただ、やめない。
冴えない馬の歩き方で、ちょうどよいのかもしれません。
成果が見えない間も、地面の下では湯が溜まっている。
そういうことですね。
今度、続けていることに手応えがないなと感じたら、半歩という言葉を思い出してみてください。
今日の半歩を、一つだけ積んでおく。
それだけで、明日の見え方が少し変わるかもしれません。
シニアの教養ラジオの前の回は、こちらです。

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