記事内に広告を含む場合があります。

僕らの人生そのものがコンテンツになる モンテーニュ『エセー』に学ぶ

知的迷走日記保管庫

長く続けてきたポッドキャストを振り返ってみて、自分のこういう考えにぴったりくる言葉はないのかなと思い、いろいろと調べてみました。
そうしてたどり着いたのが、モンテーニュです。

 

私自身が、私の書物の素材である。

 

モンテーニュの、この言葉と一緒に、私たちはなぜ自分自身のことを話すのか、なぜ自分の考えを世界に向けて発信するのかを考えてみたいと思います。

シニアの教養ラジオという再生リストに、私が話した音声をAIで動画にして投稿しました。

 

モンテーニュは、16世紀のフランスを生きた哲学者だと言われています。
『エセー』という名前を聞いたことがある人もいると思います。
日本では『随想録』と訳されていたりもします。
Amazonを見てみたら、ずらっと本がありました。
第何巻まである、すごい著作になっています。

その中で彼が言っているのが、私自身が私の書物の素材である、という言葉です。
なんだか非常に、ぴったりくるんです。

ミシェル・ド・モンテーニュ

目次

モンテーニュは、退屈と孤独で暴走する心を書き留めた

モンテーニュという人物について、少しまとめてみます。

彼は、今から400年以上前のフランスにいた人です。
もともと非常にエリートの貴族で、調べてみると、裁判所の仕事などを務めた立派な社会人でした。

ところが彼は、38歳のときに突然仕事を辞めます。
そして、自分は貴族なのでお城を持っているわけですが、そのお城の塔に引きこもってしまうのです。

当時のフランスは、宗教戦争の真っ只中で、結構大変な世の中でした。
世の中が混乱していて、いろいろと血なまぐさい事件が続いていました。
そんな時代に、やっぱり彼は疲れ果ててしまったのかな、という感じです。

モンテーニュの前半生

 

彼がこもった塔の中の書斎には、1000冊ぐらいの本が収納してありました。
彼はそこで静かに読書をしよう、残りの人生をそうやって過ごそう、と思っていました。

ところが、そこで問題が起きてしまいます。
退屈です。
そして孤独。

 

何もしないでいると、自分の心が暴走し始めたのです。

 

これは、定年後に似ていますよね。
やることがなくなってしまって、社会との縁が切れてしまったようなときの気持ちと、似ているのではないかと思います。

不安とか妄想とか、取り留めのない考えが、頭の中を駆け巡りました。
彼は、その暴走する心と言っていいのか、そういうものを書き留めようと思いました。
これが、エッセイの始まりです。

塔の書斎で起きたこと

 

400年ぐらい前の本といったら、それは立派なものでした。
ほとんどが、神様について書かれた神学書です。
歴史上の英雄の物語や、役に立つ科学の本。
そういうものが書物だったわけです。

ところが、このモンテーニュが書いたのは、まったく違っていました。
英雄でも聖人でもなんでもない、ただの中年のおじさんです。
そんな彼が、自分の好き嫌いや体の不調について書いたのです。
親指について、匂いについて、私は大根が好きだ、白ワインが好きだ、そんなことまで書いています。
吉田兼好の『徒然草』にも、似たようなところがありますよね。

何が書かれていたか

 

彼は、その本の冒頭の、読者へという文章で、このように断っています。
これは私的な、家族や友人のための本だ。
私の欠点も、ありのままの姿も、包み隠さず書くつもりだ。
そして、この言葉に続きます。

 

だから読者よ、私自身がこの本の素材なのだ。

 

『エセー』冒頭 読者へ

普通の人の考えが本になる、長く続けると残るのは自分

これは当時、ものすごい革命でした。
普通の人間の個人的な考えが本のテーマになり得る、と宣言したということです。
今でこそモンテーニュといったら偉大な人のように見えますが、当時の人から見れば、普通のおっさんですよね。
そういう人の考えが、本のテーマになるというわけです。

 

彼は、こうも言っています。
世界で最も偉大なことは、自分自身を自分のものとして知ることだ。
これは含蓄がありますね。

私たちはつい、自分以外の何者かになろうとしていることが、ままありませんか。
もっと賢くなろう、もっと立派になろう、誰かの役に立つようなことを言わなければならない、と身構えてしまいます。
このポッドキャストも、そうなんです。

でもモンテーニュは違っていました。
私は私について語る、なぜならそれが私が一番よく知っているテーマだからだ、というスタンスです。

 

長くポッドキャストを続けてきて、私はいま同じことを感じています。
最初の頃は、本当に興味関心に合わせて、デタラメなことをいろいろ言っていました。
それでも、何か役に立つような情報を話さなきゃならないんじゃないかと思って、一生懸命そういうことも喋っていました。

でも長く続けていくと、結局残るのは自分なんです。
こうして振り返ってみると、やっぱりそうでした。

自分が何を感じたか、自分がどう考えたか。
専門知識は、Googleで何でも手に入ります。
でも、私という人生のフィルターがかかったものは、私にしか書けません。

ポッドキャストを続けてきて

 

モンテーニュは、自分のことを、変化し続ける頼りない存在だと言いました。
そして、その変化そのものを記録しようと思ったのです。
これまで配信をしてきた私とも重なります。

エッセイは試み、答えを探すために書く

ここで、エッセイという言葉に注目してみたいと思います。

私たちはよくエッセイと言いますが、これはフランス語で、試みという意味です。
英語のエッセイの語源で、試すこと、実験することのような意味です。

なので、モンテーニュは、自分の書いた文章を完成品とは思っていませんでした。
あくまで、自分の思考の試し書きだったということです。

 

私は答えを知っているから書くのではなく、答えを探すために書くのだ。
そんなニュアンスです。

 

エッセイという言葉

これは、ポッドキャストそのものなんです。

こうしてマイクに向かうとき、最初から完璧な台本があるわけではないことがほとんどです。
今回は、私は台本を書いています。
モンテーニュのことをそんなにたくさん知っているわけではないので、やっぱり調べてから書いています。
でも普段は、その場で思いついたようなことを喋っています。

話し始めると、話しながら、自分はこう考えていたんだな、と気づくことがあるんです。
話すことは、考えることの試みなんですよね。
これもエッセイなんです。

 

モンテーニュには、有名なモットーがありました。
ご存じかもしれませんが、クセジュです。
フランス語で、日本語では、私は何を知っているのだろうか、というような意味です。
昔、クセジュ文庫という文庫がありました。
そういえば、今もあるのかな。

これは、私は何も知らない、という謙虚な姿勢です。
だから、何も知らないからこそ考え続けるのだ、という意欲でもあるということです。

モンテーニュのモットー

 

私のこれまでの配信は、まさにエッセイ、試みだったと思います。
うまくいった回もあるし、何を言っているのか分からないような回もあります。
でも、その全てが、今見ると私の思考実験だったな、と思います。

エッセイと私のポッドキャストを重ねていますが、同じものだと言いたいのとは違います。
エッセイを糸口にして、これまでの配信を振り返っているのです。

書き続けることで、書物が私を作っていく

モンテーニュの言葉で、こんなことを言っていたんだと思ったものがあります。

 

私が書物を作った以上に、書物が私を作った。

 

これは、ものすごく共感します。

モンテーニュは、自分の本を何回も書き直しました。
新しい版が出るたびに、古い文章を消さずに、新しい考えを書き足していました。
だから『エセー』の中では、若い頃の彼と年老いた彼の意見が、矛盾して同居しているのです。

でも彼は、あえてそのままにしました。
人間というのは変わるものだからです。
そうやって書き続けて、彼は自分自身を理解することを続けていきました。

もともと哲学者だったわけでもなんでもなく、書き続けてきた行為が、いつの間にか彼を哲学者に育てていったのです。

書き続けたモンテーニュ

 

私もやっぱりそうです。
ポッドキャストを始めた2020年の1月頃の自分と、5年経った今の私とは、全然違います。
話し方も違うし、考え方も当然変わっています。

でも、もしかしたら、その変化は、ポッドキャストやブログ、電子書籍で、ずっと考え方を出してきたからこそ起きたのではないかと思うんです。
私は、同じことを何度も何度も、いろんなところで書きます。
ここで喋ってみたり、電子書籍に書いたり、メルマガに書いたり。
何度も何度もそうやって書いていく中で、考え方が整理されていくのです。

なので、私自身が書物の素材である、という言葉は、非常によく分かります。
この言葉が、決して自分大好きという言葉ではないことは、もうお分かりですよね。

 

私たちはついつい、いろんな発信をする中で、ネタがないなと悩みます。
何か書くには特別な体験が必要だ、と感じてしまうことはありませんか。
よく子供たちが、夏休みの絵日記を書くときに、何もしていないから、どこも行っていないから書けない、と悩んだりしますよね。
それと同じです。

でもモンテーニュは、自分の親指の話で、一章を書いたのです。
非常に些細なことや、ふと感じたこと、それら全てが素材になるという、一つの典型です。

 

僕らの人生そのものが、最高に面白いコンテンツになる。
そういうことが、このモンテーニュとの出会いによって、さらに補強されたなと思います。

 

私自身が、私の書物の素材である。
この言葉を私の大事な言葉にして、これからさまざまなメディアで、また発信を続けていくと思います。
そういうときに思い出しながら、私のその時の考え、ありのままの考え方、借り物ではない自分自身が感じたことを、しっかりと語っていければと思います。
このポッドキャストも、これから先、そんなふうでありたいと思います。

 

シニアの教養ラジオの前の回は、こちらです。

忙しいときこそ散歩に出る ジョルジュ・サンドとハマトン『知的生活』

コメント

タイトルとURLをコピーしました