先日、わたしの私淑する知の巨人に再開した話を書きました。
私の私淑する知の巨人に再会した話 | 知的生活ネットワーク
その中で、その方は多忙であるにもかかわらず10冊の本を並行して読まれているということを書いています。
それがきっかけで,自分の今の読書がどうなっているのだったかなと思って改めて確かめてみました。
今年はインプットを多めにすると宣言しました通り、昨年暮れあたりよりははるかに読書量が増えています。
それでも10冊並行には程遠いです。
仕事関係の本は、退勤前に30分ほど時間をとって、教育雑誌に目を通したり、教育書の付箋を入れた箇所の抜書きをしたりしています。これは勉強の部類に入りますので、わたしの読書とは別にくくっています。
帰宅してからも勉強の時間をとっています。これは主に教育書を読むのですが、明日の仕事上必要なものというよりは、純然たる教師としての勉強です。わたしの教育観を豊かにしてくれる勉強ですね。
さて、これら以外がここでいう読書です。
まず、出勤と退勤の時間、オーディブルで「本を聞いて」います。
オーディブルは月額1500円と高いのですが、本を一冊買ったと思えば、安いものです。それ以上の読書が、読書できないはずの時間、つまり、運転中、ウォーキング中、片付け中などにできるし、一言一言丁寧に読んでくれるので、目で追っているついと起こってしまう読み飛ばしがありません。
この「読書」では、これまで実用書や科学などを聞いてしましたが、昨年暮れに「インフェルノ」三部作を「読了」してからは、小説も積極的に聞くようになりました。現在は冲方氏の「光圀伝」をワクワクしながら聞いています。
食後は、しばらく家人と過ごします。
この時に、食堂においてある、先日買ってきた「サピエンス全史」を読んでいます。着眼の驚きなどを家人に話して聞かせながら読んでいると楽しいものです。
内容は専門的ですが、実に分かりやすく書かれています。
まだ読了していませんか、おそらくこの本の価値はサピエンス全史の知識を得ることよりも、著者の,事実からのイメージ力や発想力などに大いに関心してそれを生かそうと思うところにあるかな、と思っているところです。
その後、一旦書斎に上がります。
そこでは、風呂に入る前のちょっとした時間で実用書を読みます。
今は、実用書とは言っても勉強に近い本を読んでいます。アドラーの本です。軽く読む本ではありませんが、付箋をホイホイと貼りながら軽く読んでいます。
読了してから、また、勉強の時間に抜書きをちゃんとやろうと思っています。
ここでお風呂に入りますが、お風呂の中ではKindleで読みます。
2年ぶりに再開した寺田寅彦の全著作読破への挑戦です。
リラックスするためのお風呂の中で読破なんでやっていたら肩が凝りそうですが、楽しいものは凝りません。
風呂から上がると寝るまでの時間は、ブログ書いたりイラスト描いたり、音楽やったりなどクリエイティブな活動をする時間なのですが、現在は以前述べたように読書の時間をたっぷりとっています。
ここでは自分の読者のジャンル、民俗学とか歴史とか、以前の記事で述べたジャンルに関する読書です。これはおそらく退職後もずっと続いていく時間で、わたしのライフワークになるものです。
現在は、阿部謹也氏の「世間への旅」を読んでいるところです。
「ハーメルンの笛吹き男」で中世ドイツの共同体をリアルに描き出された西洋史学者です。
夜の静けさの中で読む阿部謹也氏の一連の著作は、とてもジェントルな時間を提供してくれます。
最後は寝床読書。
寝る前の読書で、布団の中で読みます。ほとんど寝落ちのわたしなのであまり進みません。軽い小説などを読んでいます。
◯ ○ ○
実は、一時期、太宰治にはまって、Kindleで全部入りの電子書籍を買って読みまくっていたのですが、あまりに大量なのでどれだけ読んでも「10%読了」くらいにしかならず、読み終える目処がつきません。
面白いのですが、太宰治ばかり読んでいても如何なものかと思い、並行読書に戻しました。
並行読書の良さは、頭の中がまぜこぜになって混沌となるところです。あの本やこの本のエキスが混ざり合い、響き合って、それぞれがそれぞれの場所で沈殿していき、腑に落ちるのです。
だから、また、しばらくは並行読書で行くことになるでしょう。
太宰はいつ読むのかというと、家の中での読書の時間には治りません。バスの中と、カフェで、ということにしています。何年かしたら読み終えることができるでしょう。
今の私の読書っていっても,このくらいのものですが読む時間が少ししかない中でなんとかやってます。
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