ここのところ、読書が出来なくなっていた。
本を読むということに対して自分のモチベーションが高まらなくなってしまっていたのだ。
一度に数冊並行して読書し、週に3冊の読破を目標にしていた私はどこにもいなくなっていた。
本が嫌になったわけでもなんでもなく、読みたい本はたくさんあり、揃えているのだが、いざ読もうという段になるとまったく読む気を失ってしまうのだ。
そういう状態でそろそろ4ヶ月ほどになろうとしている。だんだんあせりだしてきた。
このままでは、貴重な時間をぼうにふってしまう。
しかし、読書の時間になると読書の気持ちが萎えるという状態はなおらない。
ところが昨日、ひょんなことからこの状態を打破するヒントが浮かんだ。
「字が読めなくなっているからではないのか?」
私が本を読めなくなった時期と、夜になると字が読めなくなってしまった時期とがだいたいおなじくらいなのだ。
数ヶ月前から老眼がことの他ひどくなり、新聞を開いても、本を開いても、相当な苦労をしないと読めなくなってしまった。
勉強のための読書はモチベーションに関係なく行うが、これにすごい努力がいるようになってしまった。
ライトを書面に当てて明るくし、頭を前後に動かして、なんとか読める位置を探すのに一苦労するのだ。
思えば、この頃から本を読めなくなっている。そこまで苦労して本を開きたくなくなっていたのだ。
そのことに、なぜか昨日思い至った。
そこで、普段はかけない老眼鏡を出してきてかけて見た。
そうしておいて本を開いたら、これがまあ、なんの苦労もなしにすらすらと読めるではないか。
なぜもっと早く老眼鏡をかけようとしなかったのだろうか。
今日は、読書の時間が楽しみだった。
そして時間になるとともに老眼鏡をかけて読書に臨んだ。
気持ちよく本を読み進められる。
また、読書を楽しめる日が戻ってきた。
もう、あきらめて、老眼鏡が必要になってしまった自分と仲良く付き合って行こう。
——————–追記 平成23年12月4日 ———————–
この記事を書いたこと自体をすっかり忘れてしまい、
そして、老眼鏡がよめなくなっていた原因であったこともすっかり忘れてしまい、
1年2ヶ月後にほぼ同じ内容のエントリーをさもいまさら発見したかの如く書いている。
なんと呆れた話。
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