記事内に広告を含む場合があります。

ジェームズ・ワット 動かない蒸気機関を10年かけて動かした男【漫画「自助論」】

知的迷走日記保管庫

手のひらに乗るほどの小さな模型は、ちゃんと動きました。
ところが、それを大きく作った蒸気機関は、蒸気がもれて途中で止まってしまいます。

 

それでもジェームズ・ワットは、10年のあいだ、機関の図を広げることをやめませんでした。

 

サミュエル・スマイルズの『自助論』に出てくる偉人の話を、私が朗読し、AIが漫画にして動画にしています。
再生リスト漫画「自助論」の1本目が、このワットの話です。

 

注射器から作った小さな模型が動く

目次

動かない大きな機関

その小さな模型は、もとは古い注射器でした。
ワットがその筒にそっと蒸気を送りこむと、中の小さなピストンが、すっと上がって、また下がります。
もう一度送ると、また同じように動きました。

これを大きく作れば、炭鉱の水をくみ出す、本物の機関になる。
そう思うと胸がどきどきして、その晩はなかなか眠れませんでした。

 

それから何年かたって、ワットはいよいよ大きな機関を作ります。
場所は、スコットランドの片田舎にある、古い屋敷の裏の小屋です。
そばで腕を組んで待っているのは、お金を出してくれている炭鉱の持ち主でした。

火を入れると、ボイラーがうなり、蒸気が太い筒へ流れこんでいきます。
ところが、筒のすき間から白い蒸気がもれ出し、ピストンは少しだけ動いて、途中でがくんと止まりました。
もう一度やっても、同じでした。

小さな模型では動いたのに、大きく作ると動かないのです。

大きな機関は途中で止まる

炭鉱の持ち主は、ため息をひとつついて、何も言わずに小屋を出ていきました。
ワットは、すみません、のひと言さえ出てきません。
まだ熱い鉄に手を当てて、おまえはどうして動いてくれないんだ、とつぶやくだけでした。

器械職人ワットと大学の模型

話は、何年も前にさかのぼります。

ワットは器械職人でした。
伝わるところでは、町の職人の組合に修業の年季が足りないと言われ、店を開かせてもらえなかったそうです。
そのワットに、町の大学が、学内の仕事場を用意してくれました。

1763年から翌年にかけての冬、ワットは大学から、ニューコメンという人が考えた蒸気機関の模型を直すよう頼まれます。
当時、炭鉱などで広く使われていた機関です。

 

直して動かしてみて、ワットは首をかしげました。
この機関は、ピストンを一度動かすたびに、筒の中に冷たい水を吹きこんで蒸気を冷やします。
次に動かすには、冷えた筒をまた熱くしなければなりません。
熱くしては冷やし、冷やしては熱くするので、蒸気も石炭も山のように食ってしまうのです。

これは、もったいない。
筒を冷やさずにすむ方法はないだろうか、とワットは考え続けました。

 

答えが浮かんだのは、1765年のある午後です。
川沿いの公園を散歩していたとき、ふっと思いつきました。

蒸気を、筒の外の別の入れ物に移して、そこで冷やせばいい。
そうすれば、ピストンの入った筒は、ずっと熱いままにしておけます。

あ、これだ。
そうして仕事場で生まれたのが、あの注射器の小さな模型でした。

公園でひらめいた別の入れ物

小さな模型は動いた。大きな機関は動かなかった

大きな機関が動かなかったわけのひとつは、筒でした。
よそで作ってもらった筒や部品には、わずかなゆがみがあります。
筒とピストンのあいだにすき間があると、そこから蒸気がもれてしまうのです。
詰め物をしても、削りなおしても、うまくいきません。

 

そのあいだも、家族を食べさせなければなりません。
ワットは昼間、運河を通す道筋を測る仕事に出て、冷たい雨の中、泥だらけになって荒れ野を歩きました。
測る器械を作って売ったり、バイオリンや笛を直したり、お金になることなら何でもやりました。

それでも夜、くたくたで家に帰ると、台所の机に機関の図を広げます。
妻のペギーは、そんな夫の話をいつも笑って聞いていました。
ワットが、ここに別の入れ物をつけてね、と言うと、ペギーは、はいはい、それで?と先をうながします。

外では何をやってもうまくいかなくても、この台所だけは、ワットが夢の話をしてもいい場所でした。

台所の机で図を広げるワットとペギー

 

1773年になると、悪いことが続きます。
お金を出してくれていた炭鉱の持ち主が、商売に行きづまって破産しました。
機関の持ち分は、炭鉱の持ち主にお金を貸していた、イングランドのバーミンガムの工場の主が引き取りました。
機関はばらされて箱に詰められ、その工場へ送られていきます。
けれども、ペギーと子どもたちとの暮らしがあるので、ワット自身はスコットランドに残りました。

その年の秋、仕事で遠くへ出かけていたワットのもとに、ペギーの具合が悪いという知らせが届きました。
ワットは取るものも取りあえず家へ向かいましたが、たどり着いたとき、ペギーはもう息を引き取っていました。
お産のさなかのことで、生まれてくるはずだった赤ん坊も助かりませんでした。

 

小さな子どもたちを寝かしつけたあと、ワットはいつものように台所の机に機関の図を広げます。
けれども、手が動きません。
ここに別の入れ物をつけてね、と話しかけても、はいはい、それで?と返してくれる人は、もういないのです。

公園で思いついてから、もう8年がたっていました。

図の上に顔をふせるワット

それでも、ワットは機関を手放さなかった

悲しみは、少しも軽くなりません。
それでも、ふとした拍子に、あの筒をもっと真ん丸にしたい、と機関のことが頭に浮かびます。

バーミンガムでは、あの機関がばらばらのまま、ワットの来るのを待っています。
仕上げられるのは、ワットしかいません。

けれども、スコットランドは、ワットが生まれ育った土地です。
ペギーの眠る墓も、仕事も、知り合いも、みんなここにあります。
ワットは、ここを離れるかどうか、なかなか決められませんでした。

 

ある晩、もう一度機関の図を広げて、ワットは決めます。
このままここにいても、あの筒は直せない。
あの機関を仕上げるのは、自分の手でなければならない。
ワットは、バーミンガムへ行こうと決めました。

 

1774年、ワットはバーミンガムへ移り、届いていた機関を自分の手で組み直しました。
それでも、火を入れると、やはり蒸気がもれます。
詰め物だけではふさぎきれず、筒そのものの形をどうにかしなければなりませんでした。

ワットは、真ん丸の筒を作ってくれる人を探しました。
見つかったのは、大砲の筒を正確にくり抜く機械を作った、鉄の工場の主です。
大砲の筒をくり抜くように、機関の筒も真ん丸にくり抜けるかもしれない、と考えて、新しい筒を頼みました。

1775年の春、待ちに待った筒が届きました。
内側に手を入れてなでてみると、すべすべで、どこまでも真ん丸でした。

届いた真ん丸の筒

 

新しい筒を取り付けて、火を入れます。
ピストンが上がっていき、あの小屋でがくんと止まった所まで来ました。
ワットは息を止めます。

ピストンは、止まりませんでした。
そのまま上がりきって、また下がっていきます。

見ていた工場の職人たちが、わっと声を上げるなか、ワットは声を出さずに、ひとつうなずきました。
ペギー、動いたよ。

1776年3月、炭鉱で火を入れた

次の年の1776年3月、ワットはバーミンガムから少し離れた炭鉱にいました。
工場の中ではなく、本物の炭鉱で働く新しい機関のお披露目です。
深い坑道にたまる地下水をくみ出せなければ、石炭は掘れません。

本当に動くのか、と疑うような顔も見えるなか、機関に火が入りました。
ピストンは止まらずに上がり下がりを続け、やがて深い坑道から水がくみ上げられて、あふれるように流れ出してきます。
見ていた人たちから、どっと声が上がりました。

炭鉱で水がくみ上げられる

 

しかも、この機関が燃やす石炭は、ニューコメンの機関よりずっと少なくてすみました。
大学で模型を直したときに気になった、もったいない蒸気のむだ。それを減らす仕組みが、炭鉱で役に立っているのです。

 

お披露目が終わって人々が帰っても、ワットはひとり、機関の前に立っていました。
公園で思いつき、注射器の小さな模型で試した仕組みが、いま炭鉱の水をくみ出しています。
日が暮れても、ワットは機関の前を離れません。
暗がりの中で、機関が水をくみ続ける音だけが、ずっと響いていました。

日が暮れても機関の前に立つワット

スマイルズが書き残したこと

ワットのことを『自助論』に書き残したのは、サミュエル・スマイルズです。
スマイルズは、ワットのことをこう書いています。

 

10年のあいだ、ワットは考え、作り続けた。望みもほとんどなく、励ましてくれる友もほとんどないままに。

 

あなたにも、何年かかっても手放さなかったことはありますか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました