昨日は、飯盛神社へ安産祈願に行ってきました。
息子の嫁に命が宿っているのです。
まだ見ぬ新しい命が無事に生まれてくることを祈る。
神主さんの祝詞に頭を垂れながら、不思議な感覚に包まれていました。
実は昨日は、母の月命日でもあったんです。
もう会えない過去の命と、これから会える未来の命。
僕は、そのちょうど真ん中に立っている気がしました。
目次
ブログは誰のために書くのか
僕はずっと「ブログは好きなことを書く」と言ってきました。
「好き」の蓄積によるコンテンツの蓄積です。
でも、それだけではないですね。
もしかしたら、僕が書いているこのブログは、100年後の誰かに届くかもしれません。
100年後、僕はもちろん生きていません。
でも、お腹の中にいた子が、もし長生きしてくれたら、100年後にはおじいちゃんになっているかもしれません。
その子供、僕にとってのひ孫が、何かの拍子にこのデジタルの海を漂うボトルメールを見つけるかもしれません。
「へえ、100年前のひいおじいちゃんは、こんなことを考えていたのか」
「安産祈願の帰りに、ココスでハンバーグ食べて喜んでたのか(笑)」
そうやって、時を超えて誰かと繋がることができる。
そう考えると、やはり、今の僕は好きなことを書いていくことに大きな価値がありそうです。
祈るように書く
「10年ブログ」という言葉をもう10年以上も使っています。
好きなことを、ただひたすら長く書き続けることが、コンテンツの蓄積、信頼の蓄積につながり、10年後のあなたに大きな宝物を残すからです。
昔の人が壁画を残したり、歌を詠んだりしたのと、同じようなものなのかもしれません。
アボリジニーの壁画を見たことがあります。数万年の間、何百代にも渡って、彼らは好きな魚、狩りをする仲間の姿、世界をおおう虹色のヘビなどのお話を書き続けてきました。
小さい子供のハンドプリントが隅っこに小さく残っています。
だれかに見せようと思って書いたわけではないのでしょう。ただ書きたいから書いたのです。
それが2万年後に見た僕の心を大きくゆさぶります。
そして、現代、僕たちはブログを書きます。
誰も読まないかもしれないけど、書きたいから書きたいことを書きます。
未来のことなど考えずに書きます。
でも、今日の日は、未来のだれかに向けて書いてもいいかもしれないと思いました。
昨日の飯盛神社の空気が、そう思わせてくれたのかもしれません。

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