蔦屋重三郎の時代 ~狂歌・戯作・浮世絵の12人
著者 佐藤至子
角川ソフィア文庫
2025年大河で「べらぼう」をやるので、その主人公と蔦屋重三郎の本を買ってきた。
江戸期のクリエイター達に興味があるので、この本を起点として広げていきたいと思っています。
読みながら書いたメモやノートの内容を書いていきますので、しばらくは追記中となります。
佐藤至子(ゆきこ)氏は、東京大学大学院人文社会系研究科の教授。「江戸の絵入り小説 合巻の世界」「山東京伝 滑稽洒落第一の作者」「江戸の出版統制 弾圧に翻弄された戯作者たち」「幕末の合巻 江戸文学の終焉と転生」などがあり、どれも私にとって興味のあるものばかり。
これらにも目を通していくつもり。
蔦屋重三郎とは NotebookLMでまとめた人物像
蔦屋重三郎は、寛延3年(1750年)に吉原で生まれ、47歳で亡くなるまでの生涯を、江戸の文化を牽引する出版プロデューサーとして過ごしました。
彼の性格は侠気があり、才能を見抜く力に優れ、投資を惜しまない人物であったとされています。
また、度量の大きく、信義を重んじる人物でもありました。
蔦屋は若くして吉原で書店を開業し、吉原細見というガイドブックの販売を始めました。
その後、自ら吉原細見を出版し、版元としての地位を築きました。
彼は才能ある絵師や作家を積極的に起用し、彼らの才能を引き出し、世に送り出すことに長けていました。
喜多川歌麿や東洲斎写楽といった有名浮世絵師も蔦屋に見出された一人です。
蔦屋は、時代の変化を敏感に察知し、新しい出版物に挑戦しました。
黄表紙と呼ばれる風刺やユーモアを交えた書物を出版し、江戸庶民に人気を博しました。
しかし、蔦屋は幕府の政策による出版規制の影響を受け、作品の内容が問題視され、財産の一部を没収されることもありました。
それでも彼は出版への情熱を失わず、規制を逆手に取って新しいビジネスチャンスに変えるなど、したたかな一面も持ち合わせていました。
蔦屋は、江戸時代の出版界に革命を起こした人物であり、現代においてもTSUTAYAの名前の由来となるなど、その影響は計り知れません。
2024年12月25日現在追記中です
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