「書き手である私たちの刺激によって読み手が書き手になり、私たちのアウトプットが他者のインプットに、そしてアウトプットになった」
引用:「知的生産の技術とセンス」
知的生産の技術とセンス ~知の巨人・梅棹忠夫に学ぶ情報活用術~ (マイナビ新書) より Loc.1649
ブログを続けていると、「あっ!」とひらめくことがある。自分が普段考えていることや意識下に隠れて無意識に脈動しているアイデアが、ある記事を読んだ途端化学反応を起こして新しい価値が生まれる。
そうして自分だけでは至らなかった考え方が、インプットによりアウトプットに転じるのだ。こうして書いた記事がこれだ。
ずっと完成しないで変化し続ける有機体とわたしの「教育観」 | 知的生活ネットワーク
彩郎さんの「ずっと完成しないで変化し続ける有機体」という考え方と、私が普段ぼーっと感じていることが化学反応を起こして「決して完成しない私の教育観」という捉え方がうまれ、この記事になった。
ところがそれだけに終わらない。この記事を生み出す元になった記事をアウトプットした彩郎さんが、今度は私が書いた記事を読んでそこからまた新しい価値を生産するということが起こった。
それがこの記事だ。
日々の仕事の中で育てる『私の教科書』
彩郎さんの記事をインプットして、そこからアウトプットした私の記事を、今度は彩郎さんがインプットし、そこから新しい価値をアウトプットされたのだ。
なんとすごいことだろうかと思う。冒頭に引用した言葉が本当になった。
「書き手である私たちの刺激によって読み手が書き手になり、私たちのアウトプットが他者のインプットに、そしてアウトプットになった」
2008年12月にこのブログを書き始めて6年が過ぎた。今7年目にはいったところだ。
その長い間を、私は誰が読んでいるということをあまり考えず、ただ書かざるをえないから書き続けてきた。それを読んでだれがどう考えようと自分にとってはさほど大した問題ではなかった。記事を書いて公開した以上、それをどう読まれようとそれは向こうに属することだからだ。
書く記事も、「アプリのこんな使い方」とか、「こんなことで困ったらこうしたらいいよ」とか、「iPadのノートアプリはこんなのがいいよ」など、検索をして来てくださる方向けに書いていた。「固定の読者」という人を考えていなかったのだ。そもそもそんな方がいる、ということすら考えたことがなかった。
しかし、昨年あたりから新しいフェーズに入ってきたらしい。私の記事を大切に読んでくださっている方の顔がちらほら見えてきたのだ。私の記事を毎回Tweetしてくださる方々だ。毎回読んでくださっているのだ。
Feedlyで登録してくださっている方を調べるツールで調べてみると、なんと400人ほどいらっしゃることもわかった。数年前に一度調べてみたことがあるが、何十人というくらいだったので、今回、目の玉が出るほど驚いた。それだけの方が、私がブログを更新したら読んでやろうと思ってくださっているということだ。
これまでは不特定の人向けに、「こんなことが役立ったよ」「困ったらこうするといいよー」というような記事を量産していたわけだが、その頃からだんだん、「読み手のあの方」を考えるようになってきた。
そして、今回また新しいフェーズに入る。
今、私は彩郎さんがこの記事をよんでくださるだろうと思って書いている。
これはなんとしあわせなことであろうか。
不特定多数のだれかに、ではなく、「あの方に贈るこの記事」が書けるということ。
すてきなことだ。
私は、このブログをこれからそのような記事がたくさんあるブログに育てていきたい。
コメント