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脳は,ランニングしている自分を「瞑想している」と思っている

知的迷走日記保管庫

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「瞑想」は脳の科学

瞑想っていうのは、本来うさんくさいものではありません。

なんらかのあやしい宗教で行われるものでもありませんし、超能力などとはなんの関係もありません。

頭のなかを空にする過程で脳がデフラグされ、混乱している情報に秩序が与えられて思考が明晰になったり、思い悩んでいることが何でもなくなったりなど、混乱した脳の中の情報を整理することだと私は理解しています。実に科学的な営みだと思っています。

私も5年ほど前からよく瞑想を行っています。出勤前の30分とか、帰宅してからの30分など、こまぎれに何度かやることもあります。困ったときとか迷った時、悩んだ時や不安な時などによくやっています。頭も心も実にスッキリします。

瞑想の仕組み

瞑想のしくみというのはこのようなものだと理解しています。

脳を空にすると言っても、人間には「何も考えまい」などということは自分の意志ではなかなかできません。「考えまい」と思った時点で何かを考えているわけだし、考えないぞと思っているとむしろあれこれ考えてしまうものです。だから一般人にはなかなか「無」の境地になぞなれるものではない、よほどの賢者でないとだめだ、と思ってしまいます。

しかし、「マントラ」というものを唱えると、一般の人でも頭が空になり、無の境地に近づき、頭脳明晰になるよ、ということで、私固有のマントラを伝授してもらうために高額のお金をはらってセミナーに参加したりといったことが行われていると聞いたことがあります。こう書いて見るとなんだかうさんくささを感じてしまいますね。

しかし、「マントラ」の働きは、頭のなかにぐちゃぐちゃと漂っている無数の雑念をからめとっていく役目をするもので、マントラの繰り返しのリズムにより、雑念が浮かんでも繰り返しのリズムの方にもっていかれ、すっと受け流しやすくなるのです。

これを繰り返していると、だんだんからめとられる雑念がへっていき、しまいには無の境地に近くなる、というわけです。

ですからマントラ自体は「意味のない」「自然な音に近い」「繰り返しのリズムのある」ものであればよいわけで、何万円もはらって私固有のマントラをえる、といったものでなくてもいいのではないでしょうか。

私の読んだ瞑想入門の本には「ウーム ナーム スバーハー」というものが紹介されていました。「スバーハー」は、息が鼻に出入りするときの「擦過音」をしめしているといわれていて、実に自然に繰り返していられます。

繰り返しのリズムと自然な音の方に、雑念が絡め取られていき、20分ほどでだんだん頭の中が空っぽになっていく気持ちよさをよく感じ取っていました。

ランニングは瞑想だ!

ところで、ランニングです。

ランニングをする時の「すー・・・はー・・・・」という息の出入りの繰り返しが、まさにマントラの働きをしているのではないかと思うことがよくあるんです。

激しいランニングではそれほど感じないのかもしれませんが、私のやる「スロージョギング」という、歩いている人にさえぬかれてしまうほどゆっくりと走るランニングでは、口で息をせずとも鼻の息だけで静かに長く走れるのです。

この鼻の息の音と、ランニングによる繰り返しのリズムが30分から1時間ほど続くわけです。

走りだしてから10分くらいすぎるとだんだん頭のなかがぼーっとしてきて、何か考えが浮かんでもすぐに「スー・・ハー・・・」「スー・・ハー・・・」という息の繰り返しのリズムにからめとられて、どこかにうけながされていきます。

次々に雑念が浮かび、浮かぶはしから、息の音にからめとられて消えていき、しまいには頭の中が空っぽになっていく。

これはまさに瞑想の時の脳のはたらきそのものではありませんか。

私が走るのは、ダイエットのためだけではありません。頭をすっきりさせるためでもあるんです。

まとめ

なにか思い悩むことがあったり、忙しくて忙しくて何から手をつけたらいいかわからなかったり、そんなときはランニングしてみてはどうですか。

ゆっくりゆっくり、きつくないペースで30分ほど走ってみてください。頭のなかがさっぱりしていつの間にか悩みなど整理されてしまっていることに気づくと思います

コメント

  1. […] […]

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