日記は、書くのも読むのも好きです。
昨年は、近世ヨーロッパの官僚や、江戸の侍など、様々な日記を読みました。
その中で断腸亭日乗(永井荷風の日記)は、読み急がず、夜な夜な愉しく読み味わい続けています。世相好きの私としては、昭和の初め頃の日常や社会の有様を端的に伝えてくれる淡々としたこの日記がとても好ましいのです。
寝落ちしそうになるまでのほんの数分間ですが、それでも数日分の日記を読むことができ、大正末期から昭和の初めの世相に想いを馳せることができます。
偉人をリスペクトする墓参り
さて、これを読み始めて常々思って来たことがあります。
これは、「この人、よく墓参りに行くなー」ということです。
縁のある人はもちろん、歴史上名を残した人や、仕事をした人の墓をよく訪れているのです。
何かあるなーと思っていました。
僕らも観光地では◯◯公の墓など出かけますが、散歩の途中で行くことはないなぁと思うのです。
しかし、永井荷風は、散歩をしながら、墓参りをしている。
前から気になっていたので、先日ついに「散歩 墓参り」という検索語で検索をかけて見ました。
すると、文人の趣味として、有名人の墓参りは知られていることがわかりました。
ここをみると、このような墓参りは「掃苔」と言われていることがわかりました。
実はこのお墓参りを趣味とする歴史は非常に古く、なんと古くは江戸時代にまでさかのぼります。
その昔はご先祖様のお墓だけでなく、自分が尊敬している先人を偲び、そのお墓にお参りに行く「[掃苔](そうたい)」という文人趣味を持っている人々がいました。
掃苔という言葉はあまり使われなくなりましたが、現在にいたるまで自分が好きな歴史上の人物や芸能人などのお墓参りをする流れは今も色濃く残っているのです。
「掃苔」
恥ずかしながら、初めて聞く言葉でした。
偉人へのリスペクトとして、墓の苔を落とす意味で訪れる墓参りです。
これを断腸亭は散歩の途中で行なっていたのです。
「掃苔しましょう―風流と酔狂の墓誌紀行」の Amazonの書籍説明にはこう書いてあります。
荷風(断腸亭日乗)、蜀山人ら文人たちが愛した風雅な散歩術 掃苔 とは、墓石の苔を掃くこと。
転じて、墓参りを意味する。
最近ではあまりつかわれなくなった言葉だが、かつては、ご先祖様だけではなく、自分の好きな先人の遺徳を偲んでその墓を詣でるという文人趣味でもあった。
本書は、東京の谷中、染井、雑司ケ谷、青山、伝通院あたりにしぼった掃苔の記録であるが、幕末から明治、大正、昭和を彩った歴史上の人物の行跡を掘り起こした記録でもある。偉人、賢人、才人、奇人たちの日本意外史。ページをめくりながら、掃苔趣味が味わえる一冊です。
なんと文人の散歩術だとあります。
風流な散歩だなと思います。
まさに東京ならではの趣味と言えるでしょう。
奈良、京都、大阪などはもちろんのこと、鹿児島や萩などでもお散歩掃苔は可能でしょう。
私の住んでいるところではあまりそのような方有名ながおられませんので、掃苔のような趣味は成り立ちません。
だから、この歳になるまでその言葉を知らなかったと言えるのかもしれません。
墓マイラー
墓マイラーという方々もおられます。
ツアーを組んで、一つ一つの墓に感謝をしながらコースを回られます。現代版の、組織的、効率的、広域的な掃苔ということができるでしょう。
良いことだと思います。
私たちは一人で生きているのではなく、過去に生きた人たちの仕事の上に生きさせてもらっているのですから、それらのことを想いを寄せ、リスペクトしつつ自分を振り返るということは、どこかで必要なことだと思います。
しかし、僕としては、荷風ら文人の行なっていた、散歩しながらの掃苔をして見たいと思います。
散歩できる範囲内に、過去の偉人が眠っていなければならないので、地方に住んでいる僕にとっては藩と贅沢な趣味であるか、と思われるのです。