Taskchute使いになって2ヶ月が過ぎました。Toodledoとともに仕事場でも家でも毎日使っています。
Taskchuteを使う前と後とでは、仕事を選ぶことについての感覚がかなりかわっていることに気づきました。「つまみ食い」ということがなくなったのです。
つまみ食いとデッドダスク化
以前は、たまたま1時間くらい自分の自由になる時間ができると、Toodledoからタスクを「つまみ食い」してました。つまみ食いですから嫌いなものは食べない。出来る仕事、したい仕事ばかりを選んでやっちゃうのです。その結果、「今、ちょっと手を付けたくないな・・・」という仕事がどんどん残って、デッドタスク化してしまう、ということが多かったのです。
一度デッドタスク化すると、やっかいなんですよね。先送りを許した自分がすでにいるので、「今回もいいや」ってことになりがち。先送りを許すためのハードルがかなり下がっちゃうんです。僕はそうならないために、どんなタスクでも2つ以上に分けるようにしてきました。「手紙を書く」なら、まず「便箋を出す」というタスクを入れて着手へのハードルをぐんと下げるのです。これでずっとうまくやってきました。でも中にはそうやってデッドタスク化をゆるしてしまうものもあるんですよ。それは「7つの習慣」でいうところの「第2領域」にい属するものです。「緊急でないけど、重要」「今しなくてもかまわないけど、やっておいた方がかなーり、いい!」というあれです。でもそれがデッドタスク化してしまいやすいのです。
Taskchuteは、自分との約束を遂行しようとする決意がベースにある
Tskchuteを使い出してから、デッドタスク化ということが少なくなりました。「つまみ食い」でなく、上から順にずんずんと、ぐいぐいと「雄々しく」実行していきますので、緊急事項であろうが、第2領域であろうが、おかまいなしに荒れ地を平坦にならしていきます。
この、「自分で決めた順番通りに上からやっていくという自分との取り決めを守る」ということがTaskchuteを使う資格のようなものですね。
これができないと、何のためにTaskchuteを使っているのかわかりません。ほかのTask管理アプリと同じように、できること、今しなきゃならないことを選んでつまみ食いをしていくのとそうかわらない。
「順番にやっていく」ということを厳重に守ることで「緊急で重要な仕事」だけでなく、「緊急ではないが重要な仕事」をも遂行していくことができるんですね。
「違えると敗北感・・・」がイイ!
しかし、それ以上に、「これをたがえると、約束を破るだめなワタシという敗北感を味わう」ということがいいんじゃないかなと思います。いや、Taskchuteを使っているみんながそうだということはないでしょう。違えることがあっても「いいよいいよ・・」と許容してくれる自分を心に持っていらっしゃる方も多いと思います。
でも、自分は敗北感を味わうぞと決めました。順番を守るというのがこのTaskchuteを使うための意味だからです。私にとってToodlledoは仕事に手放せないものですが、Taskchuteはそれをぐいぐいと有無をいわさず実行させるための仕組みだから使っているのです。順番を違えてもいいんだったらToodledoだけで十分なんですね。
順番を決めたのは、見通しを持って、「緊急で重要な仕事」や「緊急ではないが重要な仕事」を遂行し、ときどき思いつきで浮上してくる「緊急でも重要でもない仕事」を駆逐していくため。
しかしその順番を守れない自分は、「緊急で重要な仕事」だけにおいまくられている、または思い付きでやりたい仕事、やれる仕事をつまみぐいのように選んでしているダメなワタシと思うことにしました。というか「思うようになってました」
自分との約束をやぶるまいという意地で順番通りにすすめていくということを押し通していくうちに仕事がどんどん終わっていく。
きっとそんなところだろうし、私にとってのTaskchuteを使う意味もそこにありそうです。
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[…] この記事は「知的生活ネットワーク」より転載しています。 […]