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エドワード・ジェンナー 牛痘のうわさから種痘を生んだ20年【漫画「自助論」】

知的迷走日記保管庫

1796年の夏、イギリスの田舎の、ある家の一室です。
男が、家で雇っている庭師の8歳の息子の腕に、細い刃を当てようとしています。
刃の先についているのは、天然痘の患者からとった膿です。

 

男は田舎の医者、エドワード・ジェンナー。のちに世界から天然痘をなくす種痘を生んだ人です。

 

サミュエル・スマイルズの『自助論』に出てくる偉人の話を、私が朗読し、AIが漫画にして動画にしています。
再生リスト漫画「自助論」の3本目が、このジェンナーの話です。

 

少年の腕に刃を当てるジェンナー

目次

庭師の息子の腕に、刃を当てる

天然痘は、かかれば多くの人が命を落とす、そのころいちばん恐ろしい病でした。
刃を持つジェンナーの手が、かすかにふるえています。

ジェンナーは、子どもたちを天然痘から守る方法を、長いあいだ探してきました。
その方法が本当に効くのかどうかを、いま確かめようとしているのです。
もし効いていなければ、この子は天然痘にかかってしまいます。

 

始まりは、乳しぼりの娘がもらした、たった一言でした。
私は、天然痘にはかかりません。牛痘にかかったことがありますから。

牛痘というのは、牛からうつる軽い病です。
この子にも、6週間前に、まずその牛痘を植えてありました。

娘の言ったことは本当なのか。そして、この子は助かるのか。
ジェンナーは、息をととのえて、少年の腕に刃を入れました。

子どものころの人痘接種と、乳しぼりのうわさ

話は、ジェンナーが子どものころにさかのぼります。

そのころのヨーロッパでは、天然痘で、毎年40万もの人が命を落としていました。
助かっても、顔には一生消えないあばたが残ります。
目が見えなくなってしまう人も、たくさんいました。

この病を防ぐ手立ては、一つしかありませんでした。
本物の天然痘の膿をわざと少しだけ植えて、軽くかからせておくのです。人痘接種といいます。

けれど、本物の天然痘です。
何十人に一人かは、そのまま重くなって、かならず死ぬ人が出ました。
そのうえ、植えられた人からまわりの人へ天然痘がうつって、新しい流行のもとになりました。

 

天然痘を防ごうとして、人間の手で、天然痘を世の中に生かしつづけていたのです。

 

8歳のジェンナーも、この人痘接種を受けさせられました。
その前に何週間も血を抜かれ、やせ細るまで食べさせてもらえず、植えられたあとは、ほかの子どもたちと一緒に馬小屋に入れられたのです。
このときのつらさを、ジェンナーは年をとってからも忘れませんでした。

馬小屋に入れられた子どもたち

13歳のころ、ジェンナーはチッピング・ソドベリーという町の外科医のところへ弟子入りしました。
ある日、親方の店に、若い田舎の娘が相談にやってきます。
話が天然痘のことになると、娘はあっさりこう言いました。
私は、その病気にはかかりません。牛痘にかかったことがありますから。

牛痘にかかった者は、天然痘にかからない。
このうわさは、その土地の乳しぼりたちのあいだで、ずっと前から言われていたことでした。
医者たちも耳にはしていましたが、いなかのつまらないうわさだと思って、だれも本気で調べようとはしなかったのです。

ところが、少年ジェンナーは、薬をはかる手をふと止めました。
牛の病で、天然痘にかからない。ほんとうだろうか。
この一言が、ジェンナーの頭から離れなくなりました。

 

21歳で、ジェンナーはロンドンへ出て、名高い外科医ジョン・ハンターの家に住み込んで学びます。
牛痘のうわさをどう確かめたらいいのか、ジェンナーが何度も話すと、ハンターはいつもこう言いました。
考えるな、ためせ。辛抱づよく、正確に。

2年後、ジェンナーは生まれた村へ帰って、田舎の医者になりました。

医者の仲間は、笑った

村の近くには、まわりの医者たちが宿屋に集まって、食事をしながら話をする会がありました。
ジェンナーは冗談がうまく、いつも場をわかせる人気者です。

ところが、ジェンナーが牛痘の話を始めると、みんなの顔がくもります。またその話か、というわけです。
それでもジェンナーは、会のたびに何度も牛痘の話を持ち出しました。
とうとう、仲間たちは言いました。

そんな役に立たない話で、これ以上うるさくするなら、会から追い出すぞ。

会から追い出すぞと怒鳴る医者

1780年の5月、ジェンナーは親友と馬を並べて、田舎の道を進んでいました。
その道すがら、ジェンナーは、牛痘のうわさよりもっと大きな望みを、初めて打ち明けます。
牛痘を人から人へと植え継いでいけば、世界から天然痘をなくせるかもしれない。

そして、こう付け加えました。
人には言わないでくれ。実験で何かまずいことが起きたら、私は医者の仲間の笑いものになる。私は、みんなの標的なんだ。

 

親友に打ち明けたあとも、ジェンナーの調べる日々は続きました。
往診の馬で農場をまわっては、乳しぼりたちに手を見せてもらい、いつ、どの牛から、どんなふうにうつったのかを、一人ずつ聞いて書きとめていきます。

ところがある日、ジェンナーは困った人に出会います。
牛痘にかかったことがあるのに、あとで天然痘にかかってしまった、という人です。
仲間に笑われ、追い出すとまで言われても続けてきたことが、ここで崩れてしまうかもしれません。

それでも、ジェンナーはやめませんでした。
うわさがあたった人と、はずれた人を、一人ずつ比べていきます。
何年もかけて比べるうちに、牛痘と呼ばれているものには、本物とよく似た別の病がまじっていることがわかりました。
そのうえ、本物の牛痘でも、膿をとる時期によって効き目が違ったのです。

けれど、牛痘は、いつも農場で出るとはかぎらず、何年も出ないこともあります。
そんな年は、ただ待つしかありませんでした。

考えるな、ためせ

1796年の5月、とうとう、ためす日がやってきました。
乳しぼりの娘の一言を聞いてから30年あまり、医者になって本気で確かめはじめてからも、20年あまりがたっていました。

近くの農場で、別の若い乳しぼりが牛から牛痘にかかったのです。
いばらでかすった手の傷に、大きな膿のふくらみができていました。
ジェンナーはその膿をとって、庭師の8歳の息子の腕に、浅い切り傷を2本つけて植えました。まず、牛痘です。
少年は9日目に少し寒けがして頭が痛いと言いましたが、次の日には、もうけろりとしていました。

 

それから6週間後の、7月1日。
ジェンナーは、少年の腕に天然痘を植えました。あとは、待つしかありません。

6週間後、天然痘を植える

1日目、熱はない。2日目、腕も変わらない。
それでもジェンナーはまだ安心できず、毎朝少年を呼んで、腕をじっと見ました。
何日たっても、熱も、膿のふくらみも出てきません。

ある朝、窓の外を見ると、庭師の息子が元気に庭を走りまわっていました。
天然痘は、つかなかったのです。

元気に庭を走りまわる少年

ジェンナーは、すぐに親友へ手紙を書きました。
いちばんうれしいところを聞いてくれ。少年に天然痘を植えたが、私が言ったとおり、何も起きなかった。これからは、倍の熱を入れて、実験を続けるつもりだ。

 

2年後、ジェンナーは23の例をまとめた本を出します。
牛痘を使って天然痘を防ぐ、この種痘というやり方を見せるために、ジェンナーはロンドンへ出かけました。

ところが、3か月近く待っても、植えさせてくれる人は一人も見つかりません。
医者たちは、田舎医者の言うことなど相手にしなかったのです。
それでも、やがて、ためしてみようという医者が少しずつ出てきます。
ジェンナーは、膿をわけてほしいと言われるたびに、手紙をそえて送りました。

牛の病が、天然痘を止めた

種痘が広まりはじめると、今度は激しい反対の声があがりました。
ある町では、最初に種痘を受けた人たちが、外へ出るたびに石を投げつけられ、家へ追い返されました。
種痘を受けた子どもは、顔が牛になる。角が生えてくる。声まで牛の鳴き声になる。そんなことまで言われたのです。

顔が牛になると言われた種痘

けれど、反対の声が続く一方で、身分の高い二人の夫人が、自分の子どもに種痘を受けさせました。
それが、種痘を受け入れる人が増えていくきっかけの一つになります。
ジェンナーの机は種痘のことを尋ねる手紙で埋まり、ジェンナーはその一通一通に返事を書いて、膿を送りつづけました。

種痘は、ジェンナーが生きているうちに、世界じゅうへ広がっていきました。
スペインの船は子どもたちを乗せて、一人の子の腕から次の子の腕へと牛痘を植え継ぎながら、海の向こうの国々へ運びました。

アメリカの大統領は、ジェンナーにこんな手紙を書いています。
後の世の人は、天然痘というものがあったことを、歴史で知るだけでしょう。

 

ここで少し、いまの目から見たお話をしておきます。
庭師の息子で確かめた最初の実験は、いまの歴史家や、医学の倫理を考える人たちから、厳しく問われています。

ジェンナーは雇い主です。植えられたのは、断りにくい立場にある、庭師の8歳の息子でした。
しかも、牛痘だけでなく、本物の天然痘の膿まで植えています。いまなら、決して許されない実験です。
ジェンナー自身も、よその子だけに植えたわけではなく、自分の長男にも、牛痘によく似た豚の病を植えて確かめていました。
しかし、かといって、よその子の腕を使った重さは消えません。

ジェンナーも、この少年のことを、ずっと気にかけていたようです。
1818年の秋、69歳になったジェンナーは、紙に小さな家の図面を描いていました。
22年前に実験を受けた庭師の息子は、もう30歳になっていましたが、暮らしは楽ではなかったのです。
ジェンナーは、その男のために、庭つきの小さな家を建ててやることにしたのです。

家ができると、ジェンナーは自分の庭のバラを掘り起こして、その家の庭に植えてやりました。
8歳で腕を差し出してくれた子が、大人になって、バラの咲く家に住んでいます。

バラの咲く小さな家

 

それにしても、ジェンナーの方法のどこが、それほど画期的だったのでしょうか。

ジェンナーが8歳で受けさせられた人痘接種は、本物の天然痘を植えるやり方でした。
かならず死ぬ人が出て、人間の手で、天然痘を世の中に生かしつづけていました。

ジェンナーの方法は、天然痘を一度も使いません。
植えるのは、牛からうつる軽い病、牛痘です。
植えても、まず命を落とすことはなく、まわりの人に天然痘をうつすこともありません。
しかも、牛がいなくても、人の腕から腕へと植え継いでいけば、どこへでも運ぶことができました。
親友と馬を並べた道で、ジェンナーが打ち明けた望みは、このことだったのです。

ジェンナーが亡くなって17年後の1840年、イギリスは、本物の天然痘を植える昔のやり方を法律で禁じました。
さらに40年あまりのち、フランスの大科学者パスツールが、病を防ぐために植えるものを、ジェンナーをたたえてワクチンと呼ぼうと言います。
ワクチンのもとは、ラテン語で牛を意味する、ワッカという言葉でした。

 

そして1980年、天然痘は地球上からなくなった、と世界の国々が宣言しました。
人の病で根絶できたのは、いまも天然痘だけです。
アメリカの大統領の言葉は、ほんとうになったのです。

スマイルズが書き残したこと

エドワード・ジェンナーのことを『自助論』に書き残したのは、サミュエル・スマイルズです。
スマイルズは、こう書いています。

 

発見は、偶然だと言われることがある。けれど、よく調べてみると、偶然であったことは、ほとんどない。偶然と呼ばれるものの多くは、注意深く生かされた機会にすぎないのだ。

書斎のスマイルズ

 

人に笑われても、確かめてみたいと思っていることはありますか。

 

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